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1969.5.14〜5.15 [当時の「記録」]

《全共闘の政治運動的部分には未来はない。そこには現実から疎外された理念による政治あるのみ。しかし、そうした理念をよびおこす、いわば社会運動的な部分にこそ未来を先取りする真の理念はふくまれている。》と書いている。その通りと思う。その政治感覚には全くついてゆけなかったが、何か新たな胎動をそこに感じていた。われわれ以上の世代の「政治感覚」に発したのだが、それがわれわれ未満世代の新しい「社会感覚」を呼び覚ました。2級下の「坪井」が思い浮かぶ。羨望の思いをもって坪井を見ていたように思う。夭折したと聞く。
その自覚があったかどうかはともかく、全共闘が提起していた「新しい社会感覚」について、50年経った現時点から評価する本に昨年出会った。井上智洋著『純粋機械化経済』だ。当時の学生たちは、「~すべし」と命令する父権的な強迫観念から解き放たれたかったのではないだろうか。68年革命は・・・最終的には・・・脱労働社会を到来させるAI(人工知能)とBI(ベーシックインカム)による革命のリハーサル》と書く。父権的な強迫観念から解放」とは要するに「根源的思考への志向」であり、それはすなわち「自己感覚を拠りどころとする」ということだった。まさに私にとっての〈自立〉が目指すところだった。世界的に見れば、この動きがあってこそ、マッキントッシュやウィンドウズやアイフォンが生まれ出たという。(『純粋機械化経済』を読む https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-09-26)日本ではどうだったのだろう。
大学存亡の危機にあるこの時期に、林先生の家に栄作さんと泊まってきたことはすっかり忘れていた。栄作さんは2回上で漢文専攻。何かと目をかけていただいた。真庭落合町の家に泊めてもらったこともある。そういえば、結婚式にもよばれて多くの寮生で参列した。高校の先生になられた。生徒に慕われるいい先生だったにちがいない。今も年賀状をいただく。林先生は学生部長を務めておられ、寮生にとってはなじみの先生。林先生相手に団交をやったこともある。中国文学の教授で『十八史略』の第一人者であられたようだ。林先生なりになんとか打開の方途を探っておられたのかもしれない、と今思った。私では役に立たなかった。
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1969.5.11〜5.13 [当時の「記録」]

毎週土曜日の午後から月曜日の朝まで、一日何回か決まった時間に校内を巡視するだけの当直アルバイトを始めた。家庭教師先のお母さんが務める聾学校の仕事だった。寄宿舎があるので、食事の時間にはそこから女子中学生が食事を運んでくれる。聾学校なので黙々とことは運ぶ。ずっとテレビとは無縁な暮らしだったが、ここにきてテレビとも親しくなった。卒論をコピーさせてもらった記憶があるので、3年近く勤めたことになる。さほど気を使うこともなくほんわかと穏やかなバイトだった。家庭教師先が学校のすぐ前、お父さんは全盲の鍼灸士で盲学校の先生だった。蒸気機関車の機関士だったが、戦後間もない頃メチルアルコール中毒で全盲になられた。歌をよくせられ歌集をいただいたこともあるが、ご自分の生涯を振り返られた著『白杖』を出されたのが平成13年のことだった。森御夫妻からはあとあとまで気にかけていただいた。お世話になりっぱなしだ。御著書の「はじめに」を転載させていただいてご家族を偲びたい。

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