SSブログ

私にとっての「大学」(1) [メモ]

「移ろうままに2」に今アップしたmespesadoさん講義(85)「大学」はどうあるべきかの中に《mespesadoさんの立論に、思いっきり溜飲が下がりました。そして、50年前の自分の大学生活が、私にとっていかに恵まれていたかを思い起こしました。》と書いて、こっちにリンクしておきました。
中学校時代をふりかえると、50人のクラスで大学に進んだのは1割ぐらい、周りにも大学生なんて誰もいない。私も大学なんて考えていなくて、商業高に進んで染物屋を継ごうと思っていた。父親が出た工業の染色科でなく商業の方を思ったのは、金を稼ぐには「ものを売る」方がいいという感覚が、紙屋から嫁いだ母親から受け継いでいたせいか。祖父はひたすら「ものを作る」仕事で、父親もそこから出発したのだが、そろそろ高度成長期にさしかかっていて「どんどんものが売れる」時代になって、手作業的家内工業は時代遅れになりつつあり、おのずと子供ながらの目も商業に向いていたのだろう。それが「進学校」に向かうことになったのは、ある晩珍しく私の部屋に入ってきた父親から「大学に行け」と言われたことによる。父には5歳ぐらいで亡くなった兄がいて、父は次男坊として生まれた。根っからの次男坊気質、染屋なんかやらないで学校の先生か役場にでも勤めたほうが性に合っていたと思う。両親が結婚して間もなく、何かツテがあってか「横浜に行って教師になる」と母親に迫ったことがあったと聞いたことがある。母は「高岡家の後継ぎの嫁として嫁いだんだからそういうわけにはいかない」と押しとどめたらしい。母親はほんとうに商売向きで、舅姑にもよく馴染んでいた。結局商売に関して父親はずっと母親の後塵を拝する風だった。その父親の思いが私に「大学進学」を勧めることになったのだと思う。(つづく)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。