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天見玲さんの「時間と空間の共有」を読んで [メモ]

今朝の山形新聞気炎欄、天見玲さんの文章に感動。たまたま昨日、昔のものを押し込めてある物置部屋に入って小箱を見つけ開けてみたら、3年間の教師時代の教え子からの手紙がごっそり入っていた。こんなに手紙をもらっていたことはすっかり記憶から消えていた。小学校2年生31名を担任したのが11ヶ月、あとは岡山と福島の女子高だから、ほとんどすべて女性(女の子)から。あちこちだが読みつつ、ひとりひとりの顔を思い浮かべながら、手紙をもらっていたことをすっかり忘れてしまっていたことを申しわけなく思ったところだった。そして今朝の天見玲さん(錦啓先生)の文章。私もこみ上げるものがある。そして、ここで言われる「教育の本質」という問いかけの意味は大きい。

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総括されないままの「全共闘世代」 [メモ]

岸浩吉 2.7.8.jpg
今朝(2.7.8)の山形新聞に、山形大学で紛争を体験した同世代の方の投書が載りました。69年卒の73歳ですから一級上の方です。「ノンポリ」自認学生とのことですが、《大きな社会変革の到来を予感させる雰囲気があり、すさまじい熱気を感じた。》とあり、当時の山大の雰囲気が伝わりました。私が岡山大で感じていた雰囲気とはちがうようです。《三島の残した「生命尊重以上の価値」を考える時、なぜか今でも心が重くなる》というのはなぜなのか。総括されないままの「全共闘世代」を思いました。

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私にとっての「大学」(1) [メモ]

「移ろうままに2」に今アップしたmespesadoさん講義(85)「大学」はどうあるべきかの中に《mespesadoさんの立論に、思いっきり溜飲が下がりました。そして、50年前の自分の大学生活が、私にとっていかに恵まれていたかを思い起こしました。》と書いて、こっちにリンクしておきました。
中学校時代をふりかえると、50人のクラスで大学に進んだのは1割ぐらい、周りにも大学生なんて誰もいない。私も大学なんて考えていなくて、商業高に進んで染物屋を継ごうと思っていた。父親が出た工業の染色科でなく商業の方を思ったのは、金を稼ぐには「ものを売る」方がいいという感覚が、紙屋から嫁いだ母親から受け継いでいたせいか。祖父はひたすら「ものを作る」仕事で、父親もそこから出発したのだが、そろそろ高度成長期にさしかかっていて「どんどんものが売れる」時代になって、手作業的家内工業は時代遅れになりつつあり、おのずと子供ながらの目も商業に向いていたのだろう。それが「進学校」に向かうことになったのは、ある晩珍しく私の部屋に入ってきた父親から「大学に行け」と言われたことによる。父には5歳ぐらいで亡くなった兄がいて、父は次男坊として生まれた。根っからの次男坊気質、染屋なんかやらないで学校の先生か役場にでも勤めたほうが性に合っていたと思う。両親が結婚して間もなく、何かツテがあってか「横浜に行って教師になる」と母親に迫ったことがあったと聞いたことがある。母は「高岡家の後継ぎの嫁として嫁いだんだからそういうわけにはいかない」と押しとどめたらしい。母親はほんとうに商売向きで、舅姑にもよく馴染んでいた。結局商売に関して父親はずっと母親の後塵を拝する風だった。その父親の思いが私に「大学進学」を勧めることになったのだと思う。(つづく)

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