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「あの時抗っていれば…」と後悔しても後の祭り(長周新聞) [よびかけ]

重信さん5.28.jpg重信房子さんが、昨日(28日)朝、20年の刑期を終えて出所した。出所直後の会見で、「20年経って外に出て、今いちばん感じていることはなんですか?」の問いに、「あまりに昔と違ってひとつの方向に流れているんじゃあないかというのが、このたびのゼレンスキー大統領の国会の演説に、だれもが、れいわを除いて、スタンディングオベーションをしたところに、現れていると思います。国民がそうでなくても、政治家が一方向に流れているというのが実感です。」と語った。→https://www.facebook.com/100006876720900/videos/525816325896230

同年代(昭和20年生れで2級上)の言葉として我が意を得た思いで聞いた。重信さんについては「重信房子をかくまった医師」の記事がある。その村田先生が自由連合から参院選山形地方区に出た時応援した。また重信さんとともに赤軍派創設メンバーの花園紀男氏との縁もある。そんな親しさも勝手に感じている。いま見る限りの報道ではこのやり取りには一切触れられてはいない。マスコミも一つの流れに流されている。重信さんの言葉の中で、「れいわを除いて」と「国民がそうでなくても」が重要だ。あきらめてはならない。

そんな中、『長周新聞』の記者座談会改憲による戦争か平和かの岐路 6月参議院選の重要な争点 日本列島を戦場にするな」がすごい。転載してじっくり読んだ。長いが読む価値がある。大事なことが網羅されている。

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全共闘世代はなぜダメなのか [よびかけ]

「目を覚ませ!全共闘世代」と書いたのは、昨年の6月だった。→https://oshosina3.blog.ss-blog.jp/2021-06-13-1 副島重掲板に転載し、→http://www.snsi.jp/bbs/page/1/view/6234 放知技板からリンクしておいた。→https://grnba.bbs.fc2.com/reply/17289842/320/ なんの反応もなかった。がっかりしてこう書いた。《後期高齢者に差し掛かったその世代、数ではこの歳になっても負けてはいない。今もって「団塊」をなす。しかし、50数年前のあの体験を、あの時代の感覚を、なんら世に活かすことなく「隠しておきたい過去」のまま、墓場に引きずってゆくのだろうか。あの時代の感覚がいささかなりとも息づいていれば、まさか「70歳代のワクチン接種率(2回目/2月7日現在)93.99%」の数字はなかったはずなのだ。慚愧である。/そういえば、西森マリー著『カバールの正体』にこうあった。《1960年代のヒッピー・ムーブメントは、キリスト教の倫理を破壊するためにタヴィストック研究所が仕掛けたもので、CIAが密輸した麻薬がアメリカ人のヒッピー化を助長した》学生から会社人間へ、そこのところでいとも簡単に「節度と規範」を捨てた全共闘世代。彼らに「一貫性」という言葉ほど似つかわしくない言葉はない。そもそもそうしてしまうことこそが、カバールがわれわれ世代に仕掛けた罠なのではなかったか。そしてたやすく流行に乗る人間をつくりあげることに成功した。そういう人間たちが、何の疑いもなくコロナワクチン接種に雪崩打つのは必然なのだ。》https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-10-1
「受験競争」にどっぷりはまりこんでいたせいで、この文章そのままの人間が、「団塊世代」でもある「全共闘世代」だったのです。私はといえば、家に戻ったおかげで、それまで身についていたものをいかに脱ぎ捨てるかが切羽詰まった課題になりました。学生時代吉本隆明に出会っていたおかげともいえます。→<追悼・吉本隆明さん> あなたのおかげで大人になったhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-03-21 
2006年にこう書いていました。今の私は教科書運動以前の私個人の体験に根ざした戦後の公教育に対する違和感まで遡って考えようとしています。それがあったからつくる会の運動にも関わることになったのですが、私にとっては、歴史認識を問題にしたつくる会の運動よりもっと根源的で、それゆえ切実です。/私の個人的体験を言えば、10年間家を離れて暮らした後、地元に戻って最初に入ったのが消防団でした。そこで地元に根ざして生きている世代を超えた人たちと出会い、いったい自分が受けてきた大学までの教育とはなんだったのかと思い知らされました。》https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2006-03-19
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目を覚ませ!全共闘世代 [よびかけ]

昨日、こども園の評議員会があった。協議が一段落したところで、ひとりひとり何か語る機会が与えられるのが恒例。数年前定年になった元中学校長がこう言った。「コロナにすっかり席捲されっぱなしの世の中だが、このコロナ騒ぎ、何かウサン臭さが感じられてしょうがない。それなのにみんな唯々諾々その流れのままに流されている。若者からもなんの声も上がらない。教育がおかしかったんじゃあないだろうか、と今思う。」この言葉に力を得た。私の番に回ってきてこう言った。「『ワクチン接種しない』と言うことに勇気が要る。私は『コロナに罹るよりワクチンの副反応が怖ろしい。臆病者でゴメンなさい。』と言う。今から80年前、大東亜戦争が始まった。竹槍をもって戦おうとした。『二度とあんなバカなことは繰り返さない』と言ったはずなのに、今まさにそういうう情況になっている。命がけでもなんとか声をあげねばならない情況にあるんじゃあないだろうか、そう思っているところです。》
思わず「命がけ」という言葉が出てきたのにはわけがあった。昨日の朝、石垣りんの詩句にふれていたせいだ。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-06-12-1
《正しいと思ったことを
 命がけで言わなければならない時が
 あるかもしれない

「私は何の野心も大それた欲望もない
 ただ平凡で幸福でありたい」と
 そんな何でもないことを言うのさえ
 勇気のいる日が来るかも知れない、》 (『感想』)
家に帰ってからも「命がけ」の言葉が尾を引いていた。ふと思った。「若い人をあてにするんじゃあなくて、全共闘世代の中に火種は残っていないか。全共闘世代とはそのまま、不完全燃焼世代だった。燃え尽きるのはこれからだ。」
そもそもこの「移ろうままに3」を思い立ったのは、「全共闘世代」のあの騒ぎ、その意義もなんだかわからないままに過去の記憶の底に沈んでいくさまがあまりに哀れで、自分の当時の記録をたどってみようと思い立ったのだった。2年前、井上智洋著『純粋機械化経済』を読んで思ったのがひとつのきっかけだった。→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-09-26
8年前の民主党政権の時代、こう書いていた。あの時代を日本の戦後史に明確に位置付けた論を私はまだ知らない。ややもすると、とりわけあの時代「闘争」として体験した人たちにとっては、青春の思い出のように美化され郷愁の対象になってしまったりしているのではないだろうか。菅、仙谷といったいま権力の中枢にある方々にとってあの時代はどう自分の中で「総括」されて今に至っているのだろう。「精神年齢は70年代のままかもしれません。」の指摘が当を得ているように思えてならない。》(昭和40年代(1960年代末)大学紛争の時代を生きて)私の大学で突然「スト権確立」したのは、私が3回生の後期、1969年の1月20日だった。26日教養部封鎖。私は「部外者」に身を置いて、ひたすら寮でじっとしていた。私にとっては、高橋和巳から吉本隆明へのちょうど移行期だった。「結局は片想い」だった人がいたりして、自分にとことん沈潜できた時期だった。今思うと贅沢な時間だった。あの時間のおかげ、と今は言える。この著、「あの時の意味」についてあらためていろいろ思わせてくれた。しかし「世界レベル」ではそうだったとしても、日本においてあの時代の「成果」は、というと何を挙げることができるのだろうか。ひょっとして、我々はダメでも、我々の子供の世代が案外引き継いでくれているのかもしれない。この著者、ちょうどその世代だ。》
この時も「若い世代」をあてにしていた。われわれ世代は消えてゆくだけのように思えていた。そこに石垣りんの詩句で火が点いた。
“ すべてがそうなってきたのだから
 仕方がない ” というひとつの言葉が
 遠い嶺(みね)のあたりでころげ出すと
 もう他の雪をさそって
 しかたがない、しかたがない
 しかたがない
 と、落ちてくる。》(「雪崩のとき」)
このままでいいのか。今さら、惜しむ命もない。
以下、「雪崩のとき」「感想」全文。(My Last Fightから)
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