1968.6.11〜6.14 [当時の「記録」]
「四季」の第二景を写しつつ、青戸さんの死があったからこの劇があったことに思いが及んだ。「記録」をさかのぼると、青戸さんの死について記してあった。事故は6月2日のことだった。それから台本ができたのが9月19日だった。青戸さんは一級上、法文の経済、いつの頃からか中核派で、いつも大上段からの議論をふっかけてきた。ナイーブな人だった。寮の運営委員会メンバーで、渉外係だったろうか、その前日も遅くまで委員会だった。かなり白熱した委員会だった様な気がする。警報機だけの山陽本線複線の踏切、列車の通過を待って自転車を引いて渡りはじめたところで反対方向から列車が来たのだった。安来の出身、昨年安来の街を通りつつ、青戸さんのことがしきりに思い出された。半世紀前の出来事だったのだ。犬の死のことは、そういえば、という感じ。半ば夢の中の様な記憶だ。
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