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1969.3.10 [当時の「記録」]

スメドレーの「女ひとり大地を行く」は、橋本さんに薦められたのだろう。何も覚えてなくて今見たら翻訳者がなんと尾崎秀実だった。書いたスメドレーもコミンテルンのスパイだった。《アグネス・スメドレー(Agnes Smedley, 1892年2月23日 - 1950年5月6日)は、アメリカ合衆国の女性ジャーナリスト。/中国大陸の近代事情、特に中国共産党に関する著作で知られる。第一次世界大戦においてはインドの英国による植民地支配からの独立運動の活動家として、ドイツ政府からの経済援助を受けながらアメリカ国内で活動し、世界革命論を促進するコミンテルン(第三インターナショナル)のために共に長期間活動していた。 /死去の41年後に起きたソ連崩壊後に、コミンテルンの工作員であったことが判明した。 》労演で尾崎秀実を擁護(というより賞賛称揚)する劇を観た記憶がある。オットーと呼ばれる日本人」か。当時の大学は、そうした尾崎秀実やスメドレーが英雄視されるような空気だったのだ。

入寮当時、同室の西村さん(法科3回生)に始まり、来る人会う人みんな民青だった。目は閉じていたがまだ寝付いていない時、部屋に入ってきただれかが、私を指して「大丈夫入る」と言ったのを聞いて、絶対入らないと決めた。民青には上昇志向的なウサン臭さを嗅ぎ取ってもいた。後年、私と同年の伊藤哲夫氏から聞いた新潟大学での奮闘や、『日本会議の研究』で知った佐賀大学での反「全共闘」、岡大にも「ウヨク」の動きはあったのだろうが、私の視野にはまったく入っていなかった。寮も文科も空気は「サヨク」だった。全く無垢な状態でその空気の中に投げ込まれた私にとっての「大学紛争」体験は、その空気の中で身につけたものを一枚一枚はぎとってゆくプロセスだったのかもしれない。導き手は吉本隆明であり、メルロー・ポンティだった。

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