1969.3.19 [当時の「記録」]
《思想的に生きる》という言葉が出てきて、どういうことかと思い、後に《「思想」とは、「個人的人間関係を超えた社会的関係までも含めた中での自己の位置選択である」》(「思想」についてhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2006-04-22)と書いていたのを見つけ出したが、もう過去の遺物のように思える。そもそも「マルキシズムにどう関わるか」を基準に思想の如何が問わる時代があったのだ。私はその時代の雰囲気の中で、吉本の導きを得てマルキシズムのパラダイムから逃れ、「自立」を自己の「思想」の柱とする時代思潮に身を置いた。しかしいつしかそれも風化して、今や「あなたにとって『思想』とは?」と問う事自体がもう意味がなくなっている。数日前「今の若い人は議論なんてしない」と書いたが(市長に語ったことhttps://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-01-16)、あらためて時代の変化を思う。
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