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1969.3.5(2) [当時の「記録」]

岸田秀という精神分析学者による太宰の『人間失格』についての辛辣な評価があります。「この上なく卑劣な根性を『持って生れ』ながら、自分を『弱き美しきかなしき純粋な魂』の持主と思いたがる意地汚い人々にとってきわめて好都合な自己正当化の『救い』を提供する作品である。」(『ものぐさ精神分析』 ) 太宰に魅かれたことのある者には身に堪(こた)える言葉ですが、小田も太宰に対して同じような苦々しさを感じていたように思えます。その思いがあって小田は、とどのつまりは自己正当化に行き着く「自我意識」に対して、「にせあぽりや」と言い放ったのではないでしょうか。》と書いたことがある。(この師ありてこそ——田島賢亮(4)小田仁二郎 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-02-19-2小田とほとんど同年代に太宰治がいます。太宰は明治四十二年生れで小田の一歳上です。太宰の自死は昭和二十三年六月十三日ですから『触手』発刊のほぼ一ヶ月前。「にせあぽりや」は太宰の死を予言していたかのような小説です。》とも書いた。太宰に対する小田の対抗心、同郷のよしみもあってか小田の気持がよくわかる気がする。

太宰との出会いは高校2年の頃だったろうか。学校から家への帰途、薄暗い駅の片隅でこそこそとひとり文庫本をめくっていた記憶がある。太宰から突きつけられた問いをどう処理するかが重大な問題だった。その導き手として高橋和巳がいて、吉本隆明があったのだろう。21歳の春の夜、おれは太宰を克服したと思っている。》の言葉で書き始めている。

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1969.3.5(1) [当時の「記録」]

雪国で育ったから”春”には敏感だ。雪解けの気配がその時だった。雪のない岡山に在っても、「今日から春だ!」と感じる時があった。なぜか北津寮旧寮の北側通用口に迫る木の茂った丘が思い浮かぶ。木の葉に当たる日差しのせいか、たしかに「春だ!」と思ったその時の気持ちが蘇る。旭川の堤防や笹ヶ瀬川の土手とせせらぎも思い起こされる。自転車であてもなく出かけたのは、いつも春だった気がする。雲雀のさえずりとレンゲの花があった。ジョウビタキが飛び跳ねていた。岡山はいつも青空だった。

ただ、岡山での春の明るさはいつも不安とだき合わせの感じだった。あるいは1969年の春の感覚が、今もそう思わせているのかもしれない。そんな春の頃のことです。

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1969.3.3〜3.4 [当時の「記録」]

文科の集会に参加して発言したらしい。闘争(まだ「紛争」とは言っていない)への距離が明確になる。安藤孝行教授の詩もこのあたりだったのかもしれないと思ったら、「全共闘挽歌(1969.8.25)」とあった。半年も後のことか。気分は同じだ。(全共闘挽歌/安藤孝行 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-03-03)

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