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1969.6.18〜7.14 [当時の「記録」]

バイトに明け暮れていたのだろうか。なにも書くこともない、そんな日々だったのだろう。

《蹉跌は証だ》の詩は高村光太郎の「街上比興」だった。

このころの学内。6月18日午後2時頃,教職員,民青が現われ南北道路バリケード破壊を開始する。まず理学部生を中心とする50名の学友が坐り込み,続いて全共闘の学友も坐り込んで抗議する。3時頃機動隊500が導入され,教職員,民青と共に,坐り込んだ学友に暴行を加えつつバリケード破壊を強行する。4時半頃,「全員逮捕」の恫喝を粉砕して600名の学友が機動隊を県宮グランドまで迫い返した。夕方300名の学友が結集して民青に対する弾劾集会が開かれ,バリケード破壊に奔放し,学友に対する暴行を追求,民青の自己批判を勝ち取った。/ 同日学生寮に私服警官官5人が無断侵入し,寮内を捜索した。これに対し19日,20日延べ16時間にわたる学生部団交が行れ,学生部長自身が西署に対する”抗議文””申し入れ書”を出す事が確約された。相つぐ機動隊導入,日帝の「大学立法」策動によって再び全学の闘うエネルギーは高揚し,一方で右翼民青秩序派のスト解除,「確認書」路線の破綻が明確になっていった。》「岡山大学学生運動史」再掲))ここでいう「学生寮」は女子寮だろう。石倉さん関連だろうか。北津寮に入ったというおぼえはない。

*   *   *   *   *

6/18 1:25am
「徒労」の代償がこれ。冗談を言い合って笑い合う和やかな状況の中に入りこめないこれ。疎外感。
孤独。徒労の果て。   キザ?

6/21 0:35am
挫折か!? あまりにもあっけない、そうだとしたら。出発点にあると思わねば。(『言語にとって・・・』(Ⅰ)の217p よみつつ)

6/25 8:15pm
若干の感情的昂揚の兆。
 誰の詩かしらんけど、吉本が引用している。
  ”蹉跌は証だ。/真なるものは必ず蹉跌す。/蹉跌の深みに転落せぬもの、/己はそいつの友ではない。”

今おれにできること、最後のあがきでもよい、おれにできることはないのか? このままずるずるべったりか、あるいは、最後のあがきへの道が残されているか?
中途半端な宙吊りの状態、ここからなんとか逃れる手はないものか。精神状態が宙ぶらりん、ってのはとにかくだめだ。なにものかへの徹底を。現在、おれが徹底できるものは一体何か。閑だからやる、というのではなしに、自分自身を真に賭け得るものは?
求めよ、されば与えられん!?

6/26 1:50am
騒ぎの後の静寂の孤独。
おれはどの様な人間にもなれる。環境さえ与えてくれれば。

おれはああいう人間でもあるし、こういう人間でもある。おれがおれをわからない。
だれもおれはわからない?

おれのほんとうのおれはどこにある?

なにかをやらなければだめなんだろう、おそらく。ほんとうのおれはその時わかるはず。

7/1 1:50am
あす、公務員化の団交。
おれはなにをなすべきか?

7/11 9:15pm
敗北、空虚、
 これが自然?

いろいろな事、かくことある様な気がするのに。

もう夏か。
ずっとずっとストライキ。
アルバイト。現在貯金高一五、〇〇〇円也。

7/12 0:40am
しゃにむになにものかにとりすがってゆくべきか、あるいは、現在の状態をつきすすめてゆくことによってなにか得ることがあるのか。
酒を呑んで己れの馬鹿さ加減を思い知る。
関係の中では死にながら生きてゆくことが可能。
孤独で生きる、とは、ほんとうの生か死か。

昨日、酒を呑んで、公人君、森本らと外に出て、県営プールへ忍び込んで泳ぐ。

7/14 8:40pm
ボケーっとしてしまってる。
どこに緊張感を求めるか。

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