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1969.4.29〜5.10 [当時の「記録」]

この間10日以上に亘る。

女子寮の懐しい石倉さんの名が出た。合同委員会仲間でごく親しい同級生。その石倉さん、警官死亡事件関連で、岡山の街中、公衆の面前で逮捕され、新聞にデカデカとそのときの写真も出た。全くの誤認逮捕だったのだが、気持に一本筋金が入ってる石倉さん、なぜか黙秘権でがんばった。私が会ったのは何日か拘留されてようやく解放されたときのことだったのだろう。きっとそのころ、われわれの間では「時の人」になっていた。

現実の前での徒労。現実に直面して、それに抵抗しえない自分を見出した時、すべて徒労。》現実の前ではあっけなく雲散霧消してしまうようなことにいつまでも絡め取られてジタバタする、それはそれでくぐり抜けねばならない一時期だったのだろう。ここでも橋本さんに助けられた。私がどんな状態でいるのか、見透かしてのハガキだったのかもしれない。童話を書きたい》などと思ったのは、橋本さんのせいにちがいない。

*   *   *   *   *
4/29 5:30pm
二宮とパチンコへ行く。二百円でハイライト二つ。
内部分裂激しい。極端から極端へ。

5/2 9:25am
夕べ床の中で、
 
  いろとりどりのうすもやいろ
  みんなうつむいて
  もくもくもく おしよせてくる
  えんじのうすもやいろのおれは
  そのばにたちつくす
  だれもおれにはきづかずに
  おれをすかしてとおりすぎる
  もうもくもくのおとが
  コンクリートのちかどうにすいこまれてしまったあとに
  おれはまだ
  ひとりでたっている

9:35pm
「資本論1」(183p)
”現実的世界の宗教的反射は、総じて、実践的な日常生活の諸関係が人々にたいし、彼らの相互間および対自然の透き通るような・理性的な・諸連関を日常的に表示するばあいにのみ、消滅しうるのである。”

5/4 10:05pm
空虚な感覚に支配されている。
孤独の内容が空っぽという感じ。恋愛への渇望。孤独の内容を己れで満たすことはできぬのか!?


11:15pm
とにかく、何をやっても身が入らない。あるいは、こうしたことが”生きる”ということなのかもしれぬ。おれにとって決して無縁な感覚ではないのだ。大学に入学以後しばらく疎遠になっていた感覚にすぎない。調査のバイトで街を歩きながら、ふと懐しく思われる様な感覚にぶつかるのだ。「懐しい」感覚というものは、未来に向かって生きようとする者にとって必ずしも好ましい感覚ではない。くやしまぎれの苦々しい言葉がふと口をついて出る。ひとり、顔をしかめる。
孤独に耐えられなくなると女を求める。そこへ没入できる女を求める。愛、孤独にとって、孤独にとって、孤独に耐えられぬ者にとって、それでもかつ生きてゆかねばならない者にとって唯一の救い。
どうすればいいのだろうか。やたらと女が目に入る。
おれの生きてゆく場所は何処にあるのだ!!

人間は、関係の中に生きてゆくか、さもなくば未来のための孤独に生きてゆくか。
断絶の狭間に立つ。何ゆえの断絶?どこにおれの生きる場所はあるか? 未知ゆえの断絶「感」?
孤独に生きようとしながら関係を全く拒否しては生きてゆけない。また、関係においてのみ生きようとしながら孤独でしかありえない、ということのどうしようもない自家撞着。
”耐える”、ひたすら。おれには耐えるということには耐えられないのかもしれぬ。
今のおれの状態は如何にして打開しうるのだろうか。
孤独、それゆえの不安。弱虫野郎!!

   革命を!!

思う存分勉強するのがいいのかもしれぬ。

5/6 1:07am
態勢の立て直しを!!
おれは一体何を求めてゆけばいいのかを明確に!!
孤独。

5/9 0:30am
徒労?
現実の前での徒労。現実に直面して、それに抵抗しえない自分を見出した時、すべて徒労。
この感覚は、今までのおれに無縁なものではない。”耐える”ことを要請している感覚。

結局、みんな現実の中で生きている。
おれ「だけ」なんて耐えられない?臆病者。

いたずらにおとしめてる?
結局、みんなセンチメンタリズム!!
口惜しかったら金貯めてみろ!!  ?
臆病者が強くなるには、金を貯めるほかない? !!

10:50pm
橋本さんからハガキくる。

おれ自身、なんかいい方向に進みうるかもしれんっていう気もする。それにしても、今日眼覚めた時の不快感。
久しぶりのこういう感じの朝だった。風邪のせいもあるのかしれんけど。
まあ、なにか行動すればいいのかもしれんけど、今やる行動といったらものすごく大きな選択になるので・・・。
どのようにしてこの状態からはいあがるか。どこにおれの進むべき道はあるのか。
深く深く潜行して耐えてゆく時。

5/10 0:25am
童話を書きたい、とふと今日思う。

10:15pm
本も読む気にもならず、ボケーッとしててもどうにもならんのでノートあける。
へたしたら、またいい加減に胡麻かしてしまいそうな感じ。
昨日の橋本さんのハガキと、今日、家から小包送ってきて、父ちゃんの手紙と三千円入ってる。
空虚な部分がどんどんいい加減なもので埋められてしまう感じ。

雨ふり。
久しぶりに洗濯。
明日、宿直のバイト。

午後、ずっと集会室でレコード聴く。

女子寮へ労演の券持ってって石倉さんに会う。どうしたらいいと思うかって聞かれる。何の用意もなかったんでどういったらいいかわからんかったけど、とにかく、冷静になって自分ひとりでじっくり考えてみること、といっただけ。そんでも、ああいうことあって石倉さん、違う人になってる様な気がしてたけど、会ってみりゃあ、別に前と同じ。あたりまえの事だ。

昨日の橋本さんからのハガキと家からの小包とで、結局、孤独じゃないって思う様になってしまったのかもしれぬ。だらしのない。孤独に耐えることのできぬ弱虫奴。

このごろ、とみにおちつきがなくなってる。キョロキョロキョロキョロしてる。自信がなくなってるのかもしれない。自信がなくなると、傲慢であることを始終意識せざるをえない。
自信は傲慢であることをおおいかくしてくれる。

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