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1971.5.5 高橋和巳の死 [当時の「記録」]

高橋和巳死亡記事.jpg

高橋和巳の死亡記事が挟まった2年後に跳ぶ。

『わが解体』のアマゾンレビュー★★1969年をピークとする大学紛争当時、作家であり京大で教鞭をとる立場にあった高橋が綴った自己反省の書とでもいうべきか。/とにかく高橋はまじめで誠実で良心的で、おまけに頭がいいから、目の前の混乱した状況を何とか順次立てて論理立てて懸命に説明しようとするのだが、読み手を納得させるだけの理屈が見つからない。その歯がゆさを誰よりも痛感しているのは高橋本人であるが、それでも必死に理屈を見つけ出し説明しようとする姿がますます痛々しく感じられる。/「内ゲバの論理はこえられるか」がその典型で、所詮やくざの出入りと同程度の内ゲバや集団リンチを、革命運動の中に普遍的摂理として位置づけようとするから行き詰まるのは目に見えている。最後の最後で高橋は「大衆的規模での意識革命」とか「人間関係変革」を持ち出さざるを得なくなっている。残念だが、総括になっていないし、第一青臭い。》ナイアル)マトを得た評と読んだ。

*   *   *   *   *
1971.5/5 11:20pm
死という形で、彼の生が完結してしまったことによって、彼の書き残したものは、おれにとって別の意味をもってくるような気がするのだ。
彼が生きている、ということにおいては、彼の言葉は、おれにとって当然変わってゆくはずのもの、としてあったのだ。それゆえ、おれは、彼が現在、いろいろ、病をおして書いているものを左程、読む気もしなかった。彼がああいうところに立ち止まって、そこでがんばっていることに奇異な感じさえもっていた。しかし、彼が「そこで」がんばりつつ死んでしまった、といことで、「そこで」がんばりつつ、当然変わってゆくはずなのにもかかわらず、まさに、「そこで」がんばりつつ死んでしまった、ということで、今までの高橋和巳とは別の高橋和巳になってしまったのだ。一時は、おれにとって、日常の生活で関わりあう人々以上に親しいものであっただけに、彼の死というものがなにかまだふっきれないものを残す。
それにしても、燃えつきて死んだ、という感じだ。クソッタレ、なんかあまりにカッコいいのだ。高橋に比べ、三島の死に様は、ブザマに見えてはこないか。三島の場合は、まかりまちがえば、ブザマになるような、そんな死に方なのだ。三島は、己れを燃やし尽くして死んだとしたら、高橋は燃えつきて死んだ。高橋はともかくも、結腸ガンで死ぬべくして死んだのだ。これに比べて、三島の死に方が、ウワついてみえてきてしまうのは、おれだけか。
(当時の日記をぱらぱらめくってみて)
高橋和巳は、おれにとって、おれの一時期の一つの象徴だったのだ。

あのころの気持にもう戻れないのだろうか。

「思い出話なんて、年取って、先に何のすることもなくなった人のすることですものね。」(「四季」より)

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