1971.5.5 高橋和巳の死 [当時の「記録」]
高橋和巳の死亡記事が挟まった2年後に跳ぶ。
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1971.5/5 11:20pm
死という形で、彼の生が完結してしまったことによって、彼の書き残したものは、おれにとって別の意味をもってくるような気がするのだ。
彼が生きている、ということにおいては、彼の言葉は、おれにとって当然変わってゆくはずのもの、としてあったのだ。それゆえ、おれは、彼が現在、いろいろ、病をおして書いているものを左程、読む気もしなかった。彼がああいうところに立ち止まって、そこでがんばっていることに奇異な感じさえもっていた。しかし、彼が「そこで」がんばりつつ死んでしまった、といことで、「そこで」がんばりつつ、当然変わってゆくはずなのにもかかわらず、まさに、「そこで」がんばりつつ死んでしまった、ということで、今までの高橋和巳とは別の高橋和巳になってしまったのだ。一時は、おれにとって、日常の生活で関わりあう人々以上に親しいものであっただけに、彼の死というものがなにかまだふっきれないものを残す。
それにしても、燃えつきて死んだ、という感じだ。クソッタレ、なんかあまりにカッコいいのだ。高橋に比べ、三島の死に様は、ブザマに見えてはこないか。三島の場合は、まかりまちがえば、ブザマになるような、そんな死に方なのだ。三島は、己れを燃やし尽くして死んだとしたら、高橋は燃えつきて死んだ。高橋はともかくも、結腸ガンで死ぬべくして死んだのだ。これに比べて、三島の死に方が、ウワついてみえてきてしまうのは、おれだけか。
(当時の日記をぱらぱらめくってみて)
高橋和巳は、おれにとって、おれの一時期の一つの象徴だったのだ。
あのころの気持にもう戻れないのだろうか。
「思い出話なんて、年取って、先に何のすることもなくなった人のすることですものね。」(「四季」より)
死という形で、彼の生が完結してしまったことによって、彼の書き残したものは、おれにとって別の意味をもってくるような気がするのだ。
彼が生きている、ということにおいては、彼の言葉は、おれにとって当然変わってゆくはずのもの、としてあったのだ。それゆえ、おれは、彼が現在、いろいろ、病をおして書いているものを左程、読む気もしなかった。彼がああいうところに立ち止まって、そこでがんばっていることに奇異な感じさえもっていた。しかし、彼が「そこで」がんばりつつ死んでしまった、といことで、「そこで」がんばりつつ、当然変わってゆくはずなのにもかかわらず、まさに、「そこで」がんばりつつ死んでしまった、ということで、今までの高橋和巳とは別の高橋和巳になってしまったのだ。一時は、おれにとって、日常の生活で関わりあう人々以上に親しいものであっただけに、彼の死というものがなにかまだふっきれないものを残す。
それにしても、燃えつきて死んだ、という感じだ。クソッタレ、なんかあまりにカッコいいのだ。高橋に比べ、三島の死に様は、ブザマに見えてはこないか。三島の場合は、まかりまちがえば、ブザマになるような、そんな死に方なのだ。三島は、己れを燃やし尽くして死んだとしたら、高橋は燃えつきて死んだ。高橋はともかくも、結腸ガンで死ぬべくして死んだのだ。これに比べて、三島の死に方が、ウワついてみえてきてしまうのは、おれだけか。
(当時の日記をぱらぱらめくってみて)
高橋和巳は、おれにとって、おれの一時期の一つの象徴だったのだ。
あのころの気持にもう戻れないのだろうか。
「思い出話なんて、年取って、先に何のすることもなくなった人のすることですものね。」(「四季」より)
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