ここから新しいノート。吉本の言葉が記されている。
表紙裏《弱者は時代に耐ええずに死ぬ、とうそぶく連中がいるかぎり、わたしたちはみずから死んではならないのだ。 吉本隆明》
INDEX《結局は「そこ」へゆくに決っている。だから僕は「そこ」へゆこうとする必要はないはずだ。「ここ」をいつも掘下げたり切開したりすることの外に、僕に何のすることがあるといふのか。 (吉本)》
高橋和巳「わが解体」の『文芸』連載が始まった。心高まらせて読んだ記憶がある。自分にとっての高橋和巳が見える。『わが解体』の、星五つアマゾンレビュー、ぶんちょさんの感想、
《高橋和巳を思うとき、これほどまでに誠実に生きた文学者が、ひと昔前にはいたのだなと考えます。この人は、文学に対して、学生に対して常に誠実で、それは身を削る凄まじさを内包していました。そこまでに誠実であるがゆえに、理解されないときや自分の力が及ばなかったときの傷の深さは想像に余ります。一見して優しげで頼りなげな風貌からは想像し得ない激しさと厳しさ、類まれなるインテリジェンス。しかし際立った特徴は、思想・スタイルに違いこそあれ三島由紀夫と同様に行動したことです。その行動とその背景にある思いや考えが記述されており、戦わなくなった我々に切っ先を突きつける、そんな緊張感が漲っています。そしてとても切ない感情が包み込んできます。》(2006.4.18 ぶんちょ )
たしかにぎりぎりのところで書く「誠実さ」はある。しかしそれは所詮「即自性」にあらずして、「対自性」からぬけきれぬ。たえず自分の外からの「評価」が自己を苛む。「独りで勝手に足掻いていればいい」世界でもある。三島由紀夫と同じ。それにこの頃、おそらく病魔に侵されつつあったのではなかったか。「沈黙」の選択はなく、その場でひたすら書きつづけねばならない。辛い一生だったと思う。夫人(高橋たか子)が宗教の道に導かれたのがわかる気がする。
・
* * * * *
・
続きを読む