1969.5.30〜6.1 [当時の「記録」]
別に詩を作ろうとしたわけではない。ただしばらく経ってみれば《所詮センチメンタリズムの所産でしかない》ということで抹消。《がむしゃらのみが生きがいに通じるのであろうこの現在》と言う。「がむしゃら」とは〈対自性〉を振り払ったところの〈即自性〉か。それ自体で完結している状態で「評価」を超えている。これまでしばしば「傲慢」忌避志向がでてきたが、〈対自性〉につきまとう「評価」の感覚がいやでいやでたまらないということなのか。そういったことも含めての「がむしゃら」希求なのだと思う。
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