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1969.6.2(2)〜6.6 [当時の「記録」]

《たかが学生、習い覚えた知識で革命が起こせてたまるかってんだ。》全共闘に向けて投げつけた言葉だった。

このころの大学の状況を『岡山大学 50年小史』はこう記す。五月十二日頃、 スト解除の動きとそれに反発する全共闘の動きとが、激しく入り乱れ、 全共闘側は、再封鎖の態勢を固めた。この間全共闘側と教職員との間に小競り合いが発生し、教職員の何人かは負傷した。/それが次の転機となった。大学側は、 話し合いによる事態の解決には、かなり悲観的になっていき、次第に対決姿勢を固めていく。それがはっきり現れるのが、二十日の大学による学生の告発であり、さらにその方向が明確になるのが、二十八日である。大学側は、警察に対して封鎖解除、バリケード撤去要請を行った。しかし、大学側はここでも、傷害·占拠·封鎖という暴力的な犯罪行為に関してだけ警察力の介入を要請しているのである。/ストライキ状態は、すでに三か月続いている。新入生は、この年から始まった医学部薬学科を別として、一度も授業を受けていない。ストライキ状態について、大学側は、なお学生多数のスト支持の意思を一応推定して、それに手を着けることはしていないのである。/六月になると、 十五日には、全共闘と、これを支援する外部の学生や労働者?が、一度撤去された南北道路のバリケードをコンクリートで固め、再封鎖した。十八日県警機動隊が、これを再び排除する。事態の打開に向けて有効な手が打たれることなく、バリケードの争奪合戦が続き、七月は空しく過ぎる。》(180p)
一方、全共闘側「岡山大学学生運動史」の記述(一部再掲)。
5月6日,日帝佐藤は,70年安保を乗り切り,人民の革命的闘争を圧殺せんと,その闘いの砦である大学に対し,閉校,廃学処分を含む「大学緊急立法」を国会に上程した。
・・・・・ /5月12日,大学当局は大衆団交を拒否。全共闘はこれに対し理学部をバリケード封鎖する。一方この間教養,法文のバリケード破壊が右翼民青によって強行される。その後,法文バリケード再構築。理解部封鎖解除,と革命と反革命との混乱が続く。5月15日,当局は5・12理学部封鎖に関して,氏名不詳の約100名を告発する。/一方5月14日,工学部,5月19日,農学部で右翼民青秩序派「確認書」をもってスト解除を強行する。逆に5月22日理学部学生大会では理闘委の戦闘的学友の下,ストライキ強化決議を可決する。/5月26日,当局の工,教養授業再開策動に対し坂本教官「現段階での正常化拒否」声明を出す。/5月28日午前5時10分,4・12事件,5・12事件の現場検証を口実に機動隊1,200が再び学内に導入され,法文のバリケードを破壊し,封鎖解除を強行,学友を正門からつき出してロックアウトした。午前10時,機動隊が引き上げた後,”退去命令”を無視して学友20名が法文に入ると,教職員が外からカギをかけて,掃除をしていた女子学生2名を含む8名を閉じこめ,さらに機動隊を再導入して,8名を不当逮捕した。正午過ぎから法文前で,学友300名が,教官30名に対し,抗議糾弾集会を開いたが,杉学部長は逃亡し去った。/5月29日好並教官,坂本教官,機動隊導入に抗議して理学部前に坐り込む。/6月10日,自衛隊弾薬輸送車,1年ぶりに南北道路を通過する。これに対し,6月15日,樺美智子追悼集会の後,全共闘が南北道路を再度バリケード封鎖する。/6月18日午後2時頃,教職員,民青が現われ南北道路バリケード破壊を開始する。まず理学部生を中心とする50名の学友が坐り込み,続いて全共闘の学友も坐り込んで抗議する。3時頃機動隊500が導入され,教職員,民青と共に,坐り込んだ学友に暴行を加えつつバリケード破壊を強行する。4時半頃,「全員逮捕」の恫喝を粉砕して600名の学友が機動隊を県宮グランドまで迫い返した。夕方300名の学友が結集して民青に対する弾劾集会が開かれ,バリケード破壊に奔放し,学友に対する暴行を追求,民青の自己批判を勝ち取った。/同日学生寮に私服警官官5人が無断侵入し,寮内を捜索した。(こんなことがあったんだろうか。記憶にない。あるいは石倉さんの件で女子寮かもしれない。)これに対し19日,20日延べ16時間にわたる学生部団交が行れ,学生部長自身が西署に対する”抗議文””申し入れ書”を出す事が確約された。相つぐ機動隊導入,日帝の「大学立法」策動によって再び全学の闘うエネルギーは高揚し,一方で右翼民青秩序派のスト解除,「確認書」路線の破綻が明確になっていった。/6月28日農学部,7月2日工学部で再度ストライキに突入,7月6日には新設の薬学科もストライキに突入し大学立法粉砕に決起した。また6月30日500名,7月12日300名の結集をもって立法粉砕集会,市中デモが貫徹される。》

大学は混乱の極みに達していた頃のことだった。

*   *   *   *   *

6/2 11:10pm
文学座の「欲望という名の電車」観てくる。
狂気の時代。常に狂気と隣りあわせ。現実を見つめることによって狂気。幻想を信ずることによって狂気。一切を「忘れる」ことによってのみ救われる。ポーカーよし。ボーリングよし。酒よし。極楽はそこにある。欲望という名の電車に乗って、墓場で乗りかえてやってきたところに極楽はある。
生きてゆかなけりゃならない以上、忘れることだ。がむしゃらか虚無か。がむしゃらと虚無は隣りあわせ。われわれ生きている者にとって唯一の当為、「生きなければならない」ということ。この当為を信じないものは死ねばいいし、実際死んでる。この当為が無意識、あるいは意識のうちにあればこそ、この世界は成り立っている。しかし、当為が当為として自覚される、という時、あるがままの現実は、その当為が自然である地平上にはない。つまり、「生きる」ということが、ひとつの選択として存在しているということを意味するとしたら・・・。
悪魔の時代。それゆえ、その現実を認識した者は、その現実から逃れようとする。しかし、世界が幻想で成り立っている以上、その世界は、その者に生きることを強制してくる。彼も何かを信じて生きてゆかねばならない。

狂気の一般化。その時何が起こるか?

狂気はどれだけ大衆の中に根を下ろしつつあるか。

ブランチの少女時代は、善良な素直な娘だった。善良であり、素直であった分だけ狂気に近いのだ。

6/3 1:10am
もう昨日になってしまったけど、青戸さんの一周忌、忘れてた。

6/4 4:00am
敗残者。
 なんとなくセンチメンタルな気持で書いてみる。
 しかし、事実かも。
すべてセンチメンタリズムのなせるわざ。
 徒労の徒労たるゆえん。

6/6 8:10pm
シネクラブの映画観てくる。「魚の出てきた日」と肉弾。
「魚の出てきた日」が面白かった。最後がよかった。今のおれは殆んど「面白い」で済ませる。
「肉弾」は、昔は昔、今は今ぐらいでしか観れなかった。大谷直子の裸がきれいだった、という印象位か。

昨日は朝五時半の汽車で勝山町へバイト。旅館に泊まって今日の一時半ごろ帰る。 調査のバイトはイライラするし、後味わるい。でも金になる。

帰ったら家からと礼子から速達。母ちゃんが東京に出てくるので来い、との事。
どうも行きたくない様な気がするけど、親孝行はできるうちに、と思ったりもしてみる。それでも生活の乱れに拍車をかけてしまう様な気もするし。

このノートもあとわずかになった。今日、新しいノート購入。いつでも新しいのに移れる。

このノート、最初は元気よく出発したのに、最後はショボンとなったところで終わってしまいそうだ。
まあ、今までのノートのうちでは最も波乱万丈のノートではあった。

自分自身がわからなくなってしまってるのかもしれぬ。
何処へいても自分でない。自分はあそこへ行けば見出せる、と思ってそこへ行ってみてもそこにもいない。

革命を!! と叫びたい気持。?

? 常に、書くことにクッションマークをつけたい気持。

9:20pm
東京へ行くのどうしようかと迷ってる。今日電話来そうなので、電話来るのを待つ。必ずしも行く必要もないみたいな感じ。

もうノートを書く必要もなくなっているんじゃあ? と思ったり。

なぜ書くか?

もう今のおれには、このノートは必要ない?

しかしあるいは、こういう今こそ書く必要があるのかも。

○      ○      ○

革命は、善でも悪でもありえない。それは必然としてある以外ない。やろうとしてやれるものでもなし、やるまいとしてもやっちゃうものであるはずだ。歴史とはそういうものであるはずだ。
たかが学生、習い覚えた知識で革命が起こせてたまるかってんだ。


*   *   *   *   *

哲学科の安藤孝行教授が書いた「全共闘挽歌」という詩を後に知って記事にしたことがある。→「全共闘挽歌/安藤孝行」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-03-03。8月25日の日付が入っているのでまだ先のことだが、ここに記しておきます。そのストレートさがいかにも安藤教授らしくて思わず笑みが出る。

*   *   *   *   *

全共闘挽歌(1969.8.25)

おろか者め
お前はまだ目がさめぬのか
はじめて口にした一杯の酒に酔いしれて
お前のわめきちらしていることばの
あさましさに気づいたら
お前は恥づかしさに髪をかきむしるだろう

お前はうすぎたない居酒屋の片すみで
安酒と大言壮語にあけくれるだろう
お前の耀かしい星は
永久に去って帰らない

お前は人類のくず歴史の汚辱だ
子供たちはお前を見てはやし立てる
”あのぢぢ 昔は大学生
大学行って何なろた
石なげ火つけひとごろし
ABCさえおぼえちゃいない”

*   *   *   *   *

この詩を載せた記事の次記事が、私にとっての「大学紛争」のまとめ的記事になっていました。→「安藤孝行教授のことなど(承前)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-03-07


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