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全共闘世代はなぜダメなのか [よびかけ]

「目を覚ませ!全共闘世代」と書いたのは、昨年の6月だった。→https://oshosina3.blog.ss-blog.jp/2021-06-13-1 副島重掲板に転載し、→http://www.snsi.jp/bbs/page/1/view/6234 放知技板からリンクしておいた。→https://grnba.bbs.fc2.com/reply/17289842/320/ なんの反応もなかった。がっかりしてこう書いた。《後期高齢者に差し掛かったその世代、数ではこの歳になっても負けてはいない。今もって「団塊」をなす。しかし、50数年前のあの体験を、あの時代の感覚を、なんら世に活かすことなく「隠しておきたい過去」のまま、墓場に引きずってゆくのだろうか。あの時代の感覚がいささかなりとも息づいていれば、まさか「70歳代のワクチン接種率(2回目/2月7日現在)93.99%」の数字はなかったはずなのだ。慚愧である。/そういえば、西森マリー著『カバールの正体』にこうあった。《1960年代のヒッピー・ムーブメントは、キリスト教の倫理を破壊するためにタヴィストック研究所が仕掛けたもので、CIAが密輸した麻薬がアメリカ人のヒッピー化を助長した》学生から会社人間へ、そこのところでいとも簡単に「節度と規範」を捨てた全共闘世代。彼らに「一貫性」という言葉ほど似つかわしくない言葉はない。そもそもそうしてしまうことこそが、カバールがわれわれ世代に仕掛けた罠なのではなかったか。そしてたやすく流行に乗る人間をつくりあげることに成功した。そういう人間たちが、何の疑いもなくコロナワクチン接種に雪崩打つのは必然なのだ。》https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-10-1
「受験競争」にどっぷりはまりこんでいたせいで、この文章そのままの人間が、「団塊世代」でもある「全共闘世代」だったのです。私はといえば、家に戻ったおかげで、それまで身についていたものをいかに脱ぎ捨てるかが切羽詰まった課題になりました。学生時代吉本隆明に出会っていたおかげともいえます。→<追悼・吉本隆明さん> あなたのおかげで大人になったhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-03-21 
2006年にこう書いていました。今の私は教科書運動以前の私個人の体験に根ざした戦後の公教育に対する違和感まで遡って考えようとしています。それがあったからつくる会の運動にも関わることになったのですが、私にとっては、歴史認識を問題にしたつくる会の運動よりもっと根源的で、それゆえ切実です。/私の個人的体験を言えば、10年間家を離れて暮らした後、地元に戻って最初に入ったのが消防団でした。そこで地元に根ざして生きている世代を超えた人たちと出会い、いったい自分が受けてきた大学までの教育とはなんだったのかと思い知らされました。》https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2006-03-19
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