1969.3.20 [当時の「記録」]
宙ぶらりんのしんどさのようなものが伝わってきます。こんなときもあったのか!? 半分他人です。
謙次くんは3年間家庭教師して、志望高校に無事合格。それでお祝いに映画に行ったのか。なんの映画だったのか覚えてないが、マンガ映画だったような気もする。謙次君の家は岡山市内の南の端で自転車で30分ぐらいだったか。結構遠かったが、大学の外の空気を吸って、解放感があった自転車乗りだったように思う。週2回で月5,000円。奨学金8,000円もらっていたので合わせて13,000円。寮費は三食食べて5〜6,000円。本も買えたし貯金もでき、年3回山形へ帰る交通費もまかなえた。大学に払う学費は年間12,000円。前、後期6,000円ずつ、これだけは仕送りしてもらいました。高校がたしか1,890円の記憶なので、高校よりも安かった。そんなわけで「勝手に生きてる」感が強かった。
* * * * *
3/20 1:15am
自立の道が、社会へ還元しうる何ものかに通じうるか。あるいは、自立に伴う苦しみのゆえに、自立は許されるのか。
1:35
吉本の「現代詩における感性と現実の秩序」を偶々読んでいる。まさに、おれがすぐ右に書いた問いの答えを用意してくれていたのを知る。もっとも、おれがすでに吉本に言われる以前に感じていた、という自負はあるが。
”現代人においては最早や、人間の感性のなかにある欠如感覚は、それを批判し、深化することによってしか、人間の救いとはならないのです。”
高橋和巳もこのところをみつめているように思えるし、おれが生きる免罪符もすべて、このところにおのれを賭けることができるか否かにかかっているのだ。(ちょっと大上段にふりかぶりすぎた感じ?)
”限りない覚醒と悪意”!!
1:55am
いまや、おれは橋本さんにいうべきことはもういった。それなのに、橋本さんは、まだ僕に何もいってくれてない。おれにとっての不安はすべてここに発している!!
要するに、君はおれと一緒に歩き始める気があるのか、ということだ!!
誤解しないでくれよ、おれは”歩んでくれるか”ってお願いの意味をこめていってるんじゃあないんだよ。そりゃあ、おれがここで敗ければ、死ぬか、廃人になるかもしれぬ。しかし、そうだからといっても、決しておねがいしてるんじゃあないってことだ。とにかくなにせ大変なことだ。自分でも空恐ろしくなる。
7:05pm
謙次くんと映画みてくる。
待つ、ということ。
人間、どうしようもない部分ってのがあるらしい。未来がわからぬゆえに、現実の中の幻想から逃れることができない。未来を予想する分だけ、現在において幻想を背負うのだ。現在に徹することの難しさ。しかし、未来を予想しうるところにこそ人間の人間たるゆえんがあるのか? この不安は、人間にとって根源的なものなのだろうか。
7:50pm
人間、ひとりだけで生きることのできぬ哀しさ。不安の根源。他人をあてにせねばならないこと。
ある衝動。この言葉を口にすればおれの全存在が覆される、といったような言葉が、ふと頭に浮かぶことのある此頃。全然表面的にはナンセンスな、必然性のないものなのに、どういうわけなのだろうか。以前にもこういうことがあるにはあった。存在の極限の中で生きている様な毎日?
10:20pm
一切の希望的観測を振り払った地点に立ってみよ!! おれの生くべく何が残るか? 橋本さんは、おれに、泥沼を見る、そしてそれを把む勇気をおれに与えてくれた。それまでは、ある地点で止めておくべき、と考えていた泥沼を見つめることを可能ならしめた。ここで橋本さんを失ったら、残るのは泥沼だけでないのか。おれは、泥沼をみつめたおれの魂を捨てて生きてゆかねばならないのだろうか。いや、こう書いているそのウラに甘えはないか。センチメンタリズムはないか!! 今日もまたすれちがい。決定はあさってまで延ばされた。この間に、徹底的に絶望できるまで絶望してみることだ!! 何の光明がある? 野心か? 所詮虚しいものだ。 美か? 宗教家への嫌悪。 おれにとって現実しかない。 この現実に何があるのか? 愛をとってしまって、この現実に何があるというのだ!! 魂を捨ててゆけといのか。 徹底的な絶望? センチメンタリズムか? 献血してくる。100cc。 苦しみへの期待。 血なんかすべて吸いとられてギタギタになってしまえばいい、と思う。所詮、魂の苦しみとはそういうものなのだ!! 生活の苦しみとは全く異なる。 しかし、おれにはそれが課せられている。センチメンタリズムはセンチメンタリズムとして自覚しよう。生活の苦しみとは異なるものとして自覚しよう。じゃあ、この苦しみから何が生まれるというのか!? 未来の先取り、自立? 宿命としての自立!?
橋本さんに妥協を乞う他ないのか? おまえは所詮おんな、自立できないのだ、といって。
或いは、あくまでお互いの自立を追求する中で、愛をみつけ出すことができるのか? そうした愛は、おそらく橋本さんにおいて見出すことができなかったら、おれにとって永久に見出すことはできまい。
このノートに、こうして書いている限り、決して真の絶望ではない、ということはたしか。真の絶望の時は、このノートに書かなくなる時だ。それが死の時か、魂を捨てた時か、ということは別にして。
今おれにとって絶望でない希望の部分とは? それは勿論、まだ結論がでてはいない、ということのゆえ。 おれは、最悪の場合を予想して、絶望を対象的に眺めているにすぎない。当然の事だ。
まず妥協を拒否してあくまで突込んでみることだ。 妥協を乞わねばならぬかどうかは、それ以後の問題としてある筈なのだ。
ギタギタになってしまえばいい。そこから傲慢さだけをたよりにはいあがるか。凄まじい人生になるだろうぜ!! 人間苦しみだけじゃあ生きてゆけない、少なくともこのおれは。まだ、可能性を信じる今のおれには耐えられまい。 いや、魂を捨てる、っていう方法もあるからね。現代ってのはだいたいにおいてそういう時代なんだぜ。
橋本さんよ、おれは一体どうすればいい というんだい?
希望を求めるがゆえに絶望のふりをしている今のおれ。
そう、希望をもとめるがゆえに!! 可能性はなくなっているのではない!! ありのまま、ありのまま。
かりに、この愛を把んだとしても、この緊張感を持続することができるのかね。この緊張感ってのも、所詮、愛をつかむための手段じゃあないのかい・・・・・(と書いてみる。)
畜生!! どこまで君はしらを切るのか!!? おれはここまで追いつめられてるんだぞ!!
要らぬ幻想に惑わされてるんじゃあ。でも、所詮人間ってそういうものなのかもしれないし。
このノートにあらわれたのは所詮言葉でしかない、という虚しさ。 何が、おれの内部のものを言葉に変えせしめるのか、といえば、まさに、おれのいやがりつつかわいがらねばならないもの。 これはどのようにして救われるのだろうか? 詩か?
へたしたら発狂するかもしれないよ、ほんとに。 明日一日耐えられるか?
このノートを見せてしまうのがいいのかもしれない。
とにかく混沌、明確に把めないいらだたしさ。
今日はこげ茶色で、のっぺりしたものではなく、なんか、土くれ みたいな感じ。ゴミだめみたいな感じ。だけど、そうでもない感じ。主として背景は、灰色がかってまだらになってる。
吉本の頭の中みたいになんですっきりしないのか!? まだ訓練が足りんのじゃろう。
(床の中で、ふと思いし事を書きつらねる)
運命が邪魔してるんじゃあ、という不安。 としたら、おれは運命と闘う!!
静寂・・・おれひとりの孤独に耐えることはできないのか。
薄暮・・・どんよりした青黒い空 丈の高い草のざわめき 家々の灯がともる
絵で見た光景なのだろうか。 風が吹く、生温かいような冷たいような
ひとり 黒くなった山をみつめてたたずむ
おちついてきた感じ。 そうか、これは 生きがい ってものを捨てた生き方? 世捨て人的な・・・一文にもならん? そんでもこういう生き方もあるってこと。それはそれでいい。でも それは今までのおれがすべて否定されたとき。
むりしてるんじゃあ? という不安?
自立の道が、社会へ還元しうる何ものかに通じうるか。あるいは、自立に伴う苦しみのゆえに、自立は許されるのか。
1:35
吉本の「現代詩における感性と現実の秩序」を偶々読んでいる。まさに、おれがすぐ右に書いた問いの答えを用意してくれていたのを知る。もっとも、おれがすでに吉本に言われる以前に感じていた、という自負はあるが。
”現代人においては最早や、人間の感性のなかにある欠如感覚は、それを批判し、深化することによってしか、人間の救いとはならないのです。”
高橋和巳もこのところをみつめているように思えるし、おれが生きる免罪符もすべて、このところにおのれを賭けることができるか否かにかかっているのだ。(ちょっと大上段にふりかぶりすぎた感じ?)
”限りない覚醒と悪意”!!
1:55am
いまや、おれは橋本さんにいうべきことはもういった。それなのに、橋本さんは、まだ僕に何もいってくれてない。おれにとっての不安はすべてここに発している!!
要するに、君はおれと一緒に歩き始める気があるのか、ということだ!!
誤解しないでくれよ、おれは”歩んでくれるか”ってお願いの意味をこめていってるんじゃあないんだよ。そりゃあ、おれがここで敗ければ、死ぬか、廃人になるかもしれぬ。しかし、そうだからといっても、決しておねがいしてるんじゃあないってことだ。とにかくなにせ大変なことだ。自分でも空恐ろしくなる。
7:05pm
謙次くんと映画みてくる。
待つ、ということ。
人間、どうしようもない部分ってのがあるらしい。未来がわからぬゆえに、現実の中の幻想から逃れることができない。未来を予想する分だけ、現在において幻想を背負うのだ。現在に徹することの難しさ。しかし、未来を予想しうるところにこそ人間の人間たるゆえんがあるのか? この不安は、人間にとって根源的なものなのだろうか。
7:50pm
人間、ひとりだけで生きることのできぬ哀しさ。不安の根源。他人をあてにせねばならないこと。
ある衝動。この言葉を口にすればおれの全存在が覆される、といったような言葉が、ふと頭に浮かぶことのある此頃。全然表面的にはナンセンスな、必然性のないものなのに、どういうわけなのだろうか。以前にもこういうことがあるにはあった。存在の極限の中で生きている様な毎日?
10:20pm
一切の希望的観測を振り払った地点に立ってみよ!! おれの生くべく何が残るか? 橋本さんは、おれに、泥沼を見る、そしてそれを把む勇気をおれに与えてくれた。それまでは、ある地点で止めておくべき、と考えていた泥沼を見つめることを可能ならしめた。ここで橋本さんを失ったら、残るのは泥沼だけでないのか。おれは、泥沼をみつめたおれの魂を捨てて生きてゆかねばならないのだろうか。いや、こう書いているそのウラに甘えはないか。センチメンタリズムはないか!! 今日もまたすれちがい。決定はあさってまで延ばされた。この間に、徹底的に絶望できるまで絶望してみることだ!! 何の光明がある? 野心か? 所詮虚しいものだ。 美か? 宗教家への嫌悪。 おれにとって現実しかない。 この現実に何があるのか? 愛をとってしまって、この現実に何があるというのだ!! 魂を捨ててゆけといのか。 徹底的な絶望? センチメンタリズムか? 献血してくる。100cc。 苦しみへの期待。 血なんかすべて吸いとられてギタギタになってしまえばいい、と思う。所詮、魂の苦しみとはそういうものなのだ!! 生活の苦しみとは全く異なる。 しかし、おれにはそれが課せられている。センチメンタリズムはセンチメンタリズムとして自覚しよう。生活の苦しみとは異なるものとして自覚しよう。じゃあ、この苦しみから何が生まれるというのか!? 未来の先取り、自立? 宿命としての自立!?
橋本さんに妥協を乞う他ないのか? おまえは所詮おんな、自立できないのだ、といって。
或いは、あくまでお互いの自立を追求する中で、愛をみつけ出すことができるのか? そうした愛は、おそらく橋本さんにおいて見出すことができなかったら、おれにとって永久に見出すことはできまい。
このノートに、こうして書いている限り、決して真の絶望ではない、ということはたしか。真の絶望の時は、このノートに書かなくなる時だ。それが死の時か、魂を捨てた時か、ということは別にして。
今おれにとって絶望でない希望の部分とは? それは勿論、まだ結論がでてはいない、ということのゆえ。 おれは、最悪の場合を予想して、絶望を対象的に眺めているにすぎない。当然の事だ。
まず妥協を拒否してあくまで突込んでみることだ。 妥協を乞わねばならぬかどうかは、それ以後の問題としてある筈なのだ。
ギタギタになってしまえばいい。そこから傲慢さだけをたよりにはいあがるか。凄まじい人生になるだろうぜ!! 人間苦しみだけじゃあ生きてゆけない、少なくともこのおれは。まだ、可能性を信じる今のおれには耐えられまい。 いや、魂を捨てる、っていう方法もあるからね。現代ってのはだいたいにおいてそういう時代なんだぜ。
橋本さんよ、おれは一体どうすればいい というんだい?
希望を求めるがゆえに絶望のふりをしている今のおれ。
そう、希望をもとめるがゆえに!! 可能性はなくなっているのではない!! ありのまま、ありのまま。
かりに、この愛を把んだとしても、この緊張感を持続することができるのかね。この緊張感ってのも、所詮、愛をつかむための手段じゃあないのかい・・・・・(と書いてみる。)
畜生!! どこまで君はしらを切るのか!!? おれはここまで追いつめられてるんだぞ!!
要らぬ幻想に惑わされてるんじゃあ。でも、所詮人間ってそういうものなのかもしれないし。
このノートにあらわれたのは所詮言葉でしかない、という虚しさ。 何が、おれの内部のものを言葉に変えせしめるのか、といえば、まさに、おれのいやがりつつかわいがらねばならないもの。 これはどのようにして救われるのだろうか? 詩か?
へたしたら発狂するかもしれないよ、ほんとに。 明日一日耐えられるか?
このノートを見せてしまうのがいいのかもしれない。
とにかく混沌、明確に把めないいらだたしさ。
今日はこげ茶色で、のっぺりしたものではなく、なんか、土くれ みたいな感じ。ゴミだめみたいな感じ。だけど、そうでもない感じ。主として背景は、灰色がかってまだらになってる。
吉本の頭の中みたいになんですっきりしないのか!? まだ訓練が足りんのじゃろう。
(床の中で、ふと思いし事を書きつらねる)
運命が邪魔してるんじゃあ、という不安。 としたら、おれは運命と闘う!!
静寂・・・おれひとりの孤独に耐えることはできないのか。
薄暮・・・どんよりした青黒い空 丈の高い草のざわめき 家々の灯がともる
絵で見た光景なのだろうか。 風が吹く、生温かいような冷たいような
ひとり 黒くなった山をみつめてたたずむ
おちついてきた感じ。 そうか、これは 生きがい ってものを捨てた生き方? 世捨て人的な・・・一文にもならん? そんでもこういう生き方もあるってこと。それはそれでいい。でも それは今までのおれがすべて否定されたとき。
むりしてるんじゃあ? という不安?
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