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1969.5.18〜5,29 [当時の「記録」]

22歳の誕生日を徳山で迎えた。明星ラーメンのアルバイトで、指定されたインスタントラーメンを扱ってる店を一軒一軒歩いて探し当てながら、これから販売計画中の新製品を持って訪問し、新製品の説明をしたり、感想を聞いたりする仕事だった。かなりの田舎の店まで丹念に回った。《中麺 -ちゅんめん-(袋めん。1969年発売。ノンフライ麺の走りでもあり、他社も追随するほどのヒット商品であった)》がその新製品。明星食品の「発売を終了した商品」(ウィキペディア)の中にあった。

《生活そのものでしかないものが、思想のあるいは倫理の装いをもってあらわれる。》《ほんとうの未来は現実の最先端にあるのではない。現実の深部にこそ、その萌芽がかくされている。》

*   *   *   *    *
5/18 8:55pm
パゾリーニの「アポロンの地獄」見てくる。現代的観点からのオイディプス王。最後の現代のシーンでの”人生は終わった時から始まる”という言葉が印象的。孤独な運命との闘いに敗れたオイディプス王の言葉。青春に力を使い果した男の言葉ととれた。ものすごく現代的な響きをもって伝わってくる。
われわれにとって青春における人生とは、一切の幻想をふり払うという幻想のもとに生きる。そして青春と、それ以後の人生のどうしようもないギャップ。いつの時代でもこうなのだろうか。いや、現代は一切の幻想をふり払った現実で生き通すことができるという可能性をはらんでいる様な気がするのだが。

帰ったら、森本の部屋で、石川さんと福井が来て話してる。大学闘争の中で実際に生きている人。そうした人には何もいえず。いおうとしたら書く他あるまい。書くには書ける時期を待つ他ない。

5/22 6:05pm
二十二歳。山口県の徳山で誕生日を迎えた。明星ラーメンのアルバイト。
別にどうってことない。
今日は、自分でないはずの自分が活動してのアルバイト。おれ自身がやっているのでない、という感じ。二宮の一貫性が羨しい。
こういう調子で生きてゆくことができるおれ。しかし、そのあとの虚しさを思え。今日は金の為!?

5/25 10:55am
聾学校の宿直室で
夕べ夜岡山へ帰る。楽といえば楽だけど、ずっと束縛され、ひとりの時間がないしんどいバイトでもあった。寮へ帰ってほっとする。徳山・防府・宇部をまわる。今日のバイトがなければ津和野へ行けたのに無念。
帰りの汽車の中で、生長の家という六十位のおばさんとずっと話してくる。とても気持よく話して心が落ち着いた。こっちのいうこともわかってもらえた様な気がするし。

なんかいろいろ書くことあって、夕べ、明日宿直室で書こうって思ってたんだけど、今日になったら忘れてしまってる。
風の強い日だ。今日は青空が見えている。雲の流れが速い。

4:35pm
今のニュースで工藤が逮捕との事。ちょっと混乱。別にどうすることもできないが。

7:00pm
精神の緊張感の喪失。どこへ居っても自分自身でない様な空虚さ。なんとかせにゃならんのだろう。
現在の大学問題に対して明確に、より一層明確にしておく必要? 今、おれは何を求めてゆけばいいのか?
ひとりで居って求めるものはもうないのか。耐えることだけなのか? この前、ギターにちょっと心が動く。そういおうものしか、今のおれに求めるものはないのか? 政治を拒否したままでいいのか? 政治と関わりを持とうとするならば、現在どこにそれを求めるべきか?

5/26 5:40pm
ギター弾いたりして今日今まですごす。当分バイトしないで済むだけ金は貯った。
28日、文科の学生大会との事。ほんとうにおれ自身、われ関せず、でいいのだろうか、というかすかな不安。
漠然とした目の前。求めるものはなんなのか。現在にそれはないのか。耐えて待つよりしょうがないのか。結局、現在にすっぽりはまりこんでしまうことじゃあないのか。
ギターはなんか、現在の世界とのつながりが可能になる様な気がする。
芸術家として身を立てる人は、芸術を通じて現在の世界とのつながりが可能なのだろう。それが深ければ深いほど未来へも通用しうるものとなる。しかし、それが深くなるということは、芸術以外で現在生きることができにくければできにくいほど、深くなるんじゃあ? 現代ってそういう時代なんじゃあないだろうか、
それにしても、おれはなにで現在を生きてゆくかってことだ。

5/27 5:00pm
プラスに感じられていたセンチメンタリズムのマイナス化。
  ↓                                                        ↓
 傲慢さ               自分でない感じ、無理してる? →ひけ目

この克服は、いちばん奥の外に出しかねているものを思いっきり外にだすことだ!!
日常の中の極限をみつめることによって、未来の日常を志向する !!

5/29 12:45am
今日久しぶりに伊藤に会う。半年ぶり。懐しい。
○     ○     ○
頽廃? 意味のない日常.無駄な生活。 耐える?
革命を!!  革命家。 無意味な日常に意味を!!
所詮、意味などないものか。
○     ○     ○
思想と生活。

機動隊の学内導入。今朝。

思想が生活にうちまかされつつある岡大の現在。思想は生活の未来を志向している。未来であるがゆえに現在ではない。 生活とは現在。 生活そのものでしかないものが、思想のあるいは倫理の装いをもってあらわれる。あるがままであるのも思想にはちがいない?
○     ○     ○
伊藤は表現のスタイルを模索する。おそらくそこから未来はうまれない。錯覚した未来しか。現実の最先端であっても未来ではない。ほんとうの未来は現実の最先端にあるのではない。現実の深部にこそ、その萌芽がかくされている。

前衛? ”前衛”とはなんだろうか。今まで、前衛が前衛だったことはあるのだろうか。

革命家とは。意味のない現実に、未来を措定することによって意味を与える人。
臆病な奴に未来を措定するなんてことはできない。じゃあどうする?
臆病者は現実に絶望しきることができない。どこかに生のてがかりを求めてさすらう。
○     ○     ○
沈黙の不安。沈黙、それ自体のもつ不安。沈黙をやぶろうとする。沈黙以上の沈黙への不安。
○     ○     ○
女、

橋本さんよ。
○     ○     ○
書くことができたら、と思う。書ける必然性は待っててもやってこないとしたら。

書くことによって現実とのつながりをもちたい。今までの過去に意味を与えたい。徒労に終わしたくない。このノートが意味たりうるか。
○     ○     ○
堕落したいと思ってみたりする。一切の緊張感を捨てる。
別にむずかしいことじゃあないと思ってみたりする。恐ろしいことだとも思う。
現代はそう思うことのできる恐しい時代なのかもしれぬ。
禁欲に意味を見出すことのできぬ者は、その恐しさに直面せねばならぬ。
禁欲に意味を与えるのは、未来だ。

6:50pm
なにか未来につながるテーマが欲しい。
人と人との関わり、それを支配するもの?
人間関係というものの認識?

実体をもつ関係とは?
そこに安定を見出しうる関係。
いらだたしさ、不安定。


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