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1969.4.24〜4,26 [当時の「記録」]

なんか、今までは全然考えてもいなかった新たな地平が見出されつつある様な気がしないでもない。/吉本隆明や高橋和巳とは全く違う、しかし、おれにとっては必然であるような地平が。》と書く。胎道をぬけて明るい世界に出てきつつあるのだろうか。その導きになったのが、ジャン。クリストフの叔父ゴットフリートだったのか。すっかり記憶から消えていた。

*  *  *  *  *

4/24 9:30am
考える、ということは、ことばにすること。
現実をことばにしようとするかぎり、美は無限の彼方。
現実と一切関わりないところをことばにすれば・・・
ことばそのものをことばに。そこにあるいは美の世界が。
現代詩とはこういうものかもしれぬ。
現実と一切関わりのない思考。果して可能か?
地獄を見たいものだと思って一生懸命見ようとするバカ。

9:45am
「千羽鶴」
”死んだ人は生きてゐる者に道徳を強ひはしない。”
美の世界とは道徳のない世界。
道徳を如何にしてこの世から消滅しうるか?

1:45pm
「山の音」読み出したがしんどい。もっと別のものを求めている様だ。

9:15pm
何か、前むきのものを得るために「ジャン・クリストフ」をよみだした。
”おまえが望めば望むほどますますおまえにはできないさ・・・”
クリストフの叔父ゴットフリートのクリストフへのことば。
さらに
”「おまえが作れるどんなのよりももっとよく歌っているじゃないか--あれら(ものそのものー自然)のほうが……」”
”歌いたいとき、おのずと歌が出てくるのでなければならなかった。ときどきは、なんにも口をきかずに長い間待っていなければならなかった。”
”「それごらん! おまえは作曲のために作曲した。えらい音楽家になるために、人に感心してもらうために、作曲した。おまえは傲慢だった。おまえはうそをついた。それでおまえは罰を受けた…‥・それごらん! 音楽で傲慢だったり、うそをついたりすると、いつでも罰を受けるのだよ。音楽はつつましくて、真実であることを望むのだ。そうでなかったら、音楽なんかなんだろう? 真実なほんとうのことを言うためにこそ、美しい歌をわしらに贈ってくださっている神さまにたいする不信だ。冒涜だ」”

10:30pm
”人間のすべての言語、人間のすべての知恵はレアリテ(実在)のものすごいまぶしさにくらべればしゃちこばった自動機械の人形劇にすぎない。”

4/25 3:30pm
ジャン・クリストフ
”生とは休戦のない、容赦のない一つの戦闘であり、人間の名に値する人間であることを望む者は、目に見えない敵たちの軍勢に抗して絶えず戦わなければならないのだ、ということをクリストフはさとった。目に見えない多くの敵ーーそれは、自然の破壊的な諸力・混濁しているいろいろの情欲、知らぬまに発生してふはいして亡びてゆくさまざまのどんよりした思想などである。彼はおとし穴におちいりかけていたことをさとった。幸福と恋とに目をくらまされて、自分の心が武装を解き捨てて降伏していたことを彼はさとった。”

5:00pm
久しぶりの雨ふり。陰うつな日。

5:20pm
「ジャン・クリストフ」よんでるけど、どうも頭がボケーッとしてしまってる。落ちつかぬ。
風の強い雨降り。深く気分が沈んでしまってる。


4/26 1:00am
今日はなんか陰うつな日だった・
何を考えても、うわーっと叫び出したい気持。本もなかなかよみすすめず。

まだ若い。たかがハタチそこそこ。老成するとしじゃあない。不完全であたりまえ。不完全こそ生きることの原動力、とふと考える。

抵抗、あらゆるものへの抵抗なんておれできるだろうか。おれにとってこれからぶつかる壁は何なのだろうか。壁をすりぬけすりぬけして生きてゆくんじゃあないだろうか。

11:10am
「ジャン・クリストフ」
ゴットフリートのことば
”「・・・人間というやつは、自分で欲することはしないもんだ。人は意志する、そして生活する。その意志と生活とが別のものになってしまう。くよくよしてはならないよ。いいかいーーだいじなことはね、意志すること、生活することの両方は決してうまない(?)ということなんだ。それ以外のことは、もうわしたち人間の生以上のことなんだ。」”
”「おまえが信仰を持っていないというのがほんとうのことなら、おまえは生きてはいないはずだ。だれもみな信仰を持っている。祈るがいい。」”

おれが信仰を持つとしたら、おれ自身を信仰する。おれの中の「人間」を信ずる!! そうしたい。
こう書いてちょっと明るい見通しみたいのが出てきた感じ。

”「明けてくる新しい日にたいして敬虔な心をお持ち! 一年のち、十年のちにどうなっているかを考えることはやめるがいい。今日という日のことを考えるがいい。理屈はみんな、まずさしおいてしまうがいい。いいかい、みんなだよ。美徳のことを論じる理屈さえもみんなよくないよ。ばかげているよ。悪い結果をもってくるよ。人生に無理な力を加えてはいけないよ。今日を生きることだよ。その日その日に対して敬虔でおあり。その日その日を愛して尊敬して、何よりもその日その日をしぼませないことだよ。その日その日が花咲くのをじゃましないことだよ。今日みたいな灰色の曇り日でも、それでも愛するがいい。くよくよしてはいけないよ。ごらん。今は冬だ。何もかも眠っている。親切な大地はやがてまた目をさますだろう。自分もまた一つの親切な大地であるがいい。そして大地らしく辛抱づよくあるがいい。敬虔でおあり。辛抱強く待たなければいけないよ。おまえがよいなら、万事よいだろう。おまえがよくないなら、弱いなら、おまえが成功しないならーーいや、それでもやっぱり、それなりで幸福でなければならないのだ。そのときには、おまえはそれ以上どうにもならない。それならもうそれ以上意志してもしかたがあるまい。できないことのためにくよくよして心を曇らしたってなんになるものか。人間は、人間は、自分にできるだけのことをしなければならないのだ。・・・・・Als ich kann. 」

「それだけでは少なすぎます。」

「それはだれにもできないほど多くのことを望むことなんだよ。おまえは傲慢だね。おまえは英雄になりたがっている。そのためなんだよーーおまえがばかなことしかしないのは・・・英雄か! 英雄がどんなもんだかわしにはあまりよくわからない。でもわしの考えでは、英雄ってのはつまり、自分にできることをする人のことだろう。英雄でない人々は、自分にできることをしないんだからね。」”

0:50pm
なんか、今までは全然考えてもいなかった新たな地平が見出されつつある様な気がしないでもない。
吉本隆明や高橋和巳とは全く違う、しかし、おれにとっては必然であるような地平が。まだはっきりしたことはいえないけど。しかし、その新しい地平とは、おそらく、現代という閉塞された現実が、ゆきづまって身動きのとれなくなってしまったおれに要請しているのだ、ということも事実だ。しかし、このことによって、「人間」という普遍のものが見出されるかもしれないのだ。自分自身がほんとうに向かうようになる準備期間へと入り込むのかもしれん。

Als ich kann.

”彼は彼だけだった・・・自分ひとりだけ!ひとりぼっちであり、そして自分自身であることはなんと幸福か!自分を縛っていた束縛から脱却し、自分の記憶にさいなまれる状態から脱却し、恋しい、そしていとわしい人々のまぼろしから脱却していることはなんて幸福か!けっきょく、もはや人生に狩り立てられてつかまっている一匹の獲物■■でなく、自分自身の主人になって生きることーーそれはなんと幸福か・・・”

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