1969.4.7〜4.11 [当時の「記録」]
軍の被服廠だったという旧寮で2年、新々寮で1年過ごした後、3年間二人部屋だったが、4回生になって個室の新寮に移った。1986年(昭和61年)発行の『岡山大学学生寮記念寮誌』に、懐かしい絵や写真があった。左は寮の中央広場から見た旧寮、管理人室、集会室。私の頃は自転車小屋はなかったような気がする。下の4枚、左上が食堂。右上が新々寮集会室。合同委員会はいつもここだった。橋本さんが何の時だったか、この部屋で「トンボのメガネ」を歌ってくれたことがある。40数年前、中国旅行に行く機会があって、たしか西安で安西愛子参院議員の一行と一緒になり、どういうわけか食事の席で安西さんと隣り合わせ、異国ゆえの開放感もあって話が弾み、「うたのおばさん」から囁くように「トンボのメガネ」を歌ってもらったことがある。いま新々寮集会室で思い出したぜいたくな思い出だ。左下は新々寮(手前)と新寮。西側から。右下は旧寮。東側からだろう。どれもこれも胸苦しくなるほどの懐かしさ。
4/11のことは何のことだったか思い出せない。金がらみのことで何があったのだろう。
* * * * *
4/7 8:30pm
新しい部屋に落ち着いた。引越しに昨日と今日、一日半かかった。
今日、昼、石川さんと福井来て、七時頃、林来て行く。
これから、食堂規約検討委。そういう仕事する方が、今のおれにとっていちばんいいことかもしれぬ。
4/8 9:10am
いやな春の朝。どんよりした天気。
ルソーからでもはじめるか。
正月休みでこっちに帰った時は、前のペースに戻ったのは橋本さんに話しに行ってだ。こんどはひとりで戻るのだ!!
もう、このノート必要なくなるんじゃあないか、といまふと思う。「わたし」が書くようになればだ。
よくわからん。
5:40pm
どうも気がゆるんでるようだ。あまり時間がありすぎるせいか。気ままな感じ。
9:55pm
蔦宗さん来られる。おれ、久しく会わんうちに、一人前になってる、との事。蔦宗さんのいうことを受けつけないまでに。
4/9 5:30am
頭に変調きたしてる感じ。夢の中でも一生けん命考えてるみたいで、目覚めるとしんどい。読書傾向を変えてみにゃならんのかもしれん。頭の中が破裂しそう。どこかへ行くのがいいのだろうか。どこへ行ってもおんなしみたいな気持もする。
9:05pm
頭が中途半端になってるのか、何を読み始めても中途半端になる。このノート開いても何を書いたらいいのかわからん状態。
吉本のもの読むのは、今恐しい感じ。
ある未来を措定した時から、現実は、その未来から逃れえないところに位置づけられてしまう。
10:15pm
埴谷の「象徴のなかの時計台」よみつつ、思う。
おれ、もう「発展」から「守勢」へと入りつつある、あるいは入ってしまっているんじゃあないか、ってこと。
そこには、「耐えること」、「いかに持続するか」ということがあるってこと。
4/10 11:30pm
おそらく、おれまだ、”『わたし』が書く”時期には至っていないのだ。何ら、その必然性は見出されない。焦るな。
なんとなく、午後から倉敷の美術館に出かける。春だ、全く春。いやな春だ。
早く結着をつけたい、という気持。 今おれは何を待ってるのか。ただ時間はすぎてゆく。
4/11 3:30am
そうさ、始めからわかってた筈よ。おれたちがこういう世の中に生きているってことは。
金、それに絡みついている人間の欲望。醜いって? なに、それがこの世の実体なのさ。
それがわからないだけ甘っちょろいってことさ。
大学生ってのは、その醜さをそのままあらわさずにその分を自分の内部にしまっておく。それが自己欺瞞となってあらわれるわけさ。わかったはずなのに・・・
あー、畜生、悪酔いだ。最初からいやな予感がしてたのに・・・
馬鹿な真似はもうよそうぜ!!
どこへ行っても救われやしないのかね、この世の中は。ひとりの世界を大事にしようぜ。
新しい部屋に落ち着いた。引越しに昨日と今日、一日半かかった。
今日、昼、石川さんと福井来て、七時頃、林来て行く。
これから、食堂規約検討委。そういう仕事する方が、今のおれにとっていちばんいいことかもしれぬ。
4/8 9:10am
いやな春の朝。どんよりした天気。
ルソーからでもはじめるか。
正月休みでこっちに帰った時は、前のペースに戻ったのは橋本さんに話しに行ってだ。こんどはひとりで戻るのだ!!
もう、このノート必要なくなるんじゃあないか、といまふと思う。「わたし」が書くようになればだ。
よくわからん。
5:40pm
どうも気がゆるんでるようだ。あまり時間がありすぎるせいか。気ままな感じ。
9:55pm
蔦宗さん来られる。おれ、久しく会わんうちに、一人前になってる、との事。蔦宗さんのいうことを受けつけないまでに。
4/9 5:30am
頭に変調きたしてる感じ。夢の中でも一生けん命考えてるみたいで、目覚めるとしんどい。読書傾向を変えてみにゃならんのかもしれん。頭の中が破裂しそう。どこかへ行くのがいいのだろうか。どこへ行ってもおんなしみたいな気持もする。
9:05pm
頭が中途半端になってるのか、何を読み始めても中途半端になる。このノート開いても何を書いたらいいのかわからん状態。
吉本のもの読むのは、今恐しい感じ。
ある未来を措定した時から、現実は、その未来から逃れえないところに位置づけられてしまう。
10:15pm
埴谷の「象徴のなかの時計台」よみつつ、思う。
おれ、もう「発展」から「守勢」へと入りつつある、あるいは入ってしまっているんじゃあないか、ってこと。
そこには、「耐えること」、「いかに持続するか」ということがあるってこと。
4/10 11:30pm
おそらく、おれまだ、”『わたし』が書く”時期には至っていないのだ。何ら、その必然性は見出されない。焦るな。
なんとなく、午後から倉敷の美術館に出かける。春だ、全く春。いやな春だ。
早く結着をつけたい、という気持。 今おれは何を待ってるのか。ただ時間はすぎてゆく。
4/11 3:30am
そうさ、始めからわかってた筈よ。おれたちがこういう世の中に生きているってことは。
金、それに絡みついている人間の欲望。醜いって? なに、それがこの世の実体なのさ。
それがわからないだけ甘っちょろいってことさ。
大学生ってのは、その醜さをそのままあらわさずにその分を自分の内部にしまっておく。それが自己欺瞞となってあらわれるわけさ。わかったはずなのに・・・
あー、畜生、悪酔いだ。最初からいやな予感がしてたのに・・・
馬鹿な真似はもうよそうぜ!!
どこへ行っても救われやしないのかね、この世の中は。ひとりの世界を大事にしようぜ。
コメント 0