毎週土曜日の午後から月曜日の朝まで、一日何回か決まった時間に校内を巡視するだけの当直アルバイトを始めた。家庭教師先のお母さんが務める聾学校の仕事だった。寄宿舎があるので、食事の時間にはそこから女子中学生が食事を運んでくれる。聾学校なので黙々とことは運ぶ。ずっとテレビとは無縁な暮らしだったが、ここにきてテレビとも親しくなった。卒論をコピーさせてもらった記憶があるので、3年近く勤めたことになる。さほど気を使うこともなくほんわかと穏やかなバイトだった。家庭教師先が学校のすぐ前、お父さんは全盲の鍼灸士で盲学校の先生だった。蒸気機関車の機関士だったが、戦後間もない頃メチルアルコール中毒で全盲になられた。歌をよくせられ歌集をいただいたこともあるが、ご自分の生涯を振り返られた著『白杖』を出されたのが平成13年のことだった。森御夫妻からはあとあとまで気にかけていただいた。お世話になりっぱなしだ。御著書の「はじめに」を転載させていただいてご家族を偲びたい。