前回議論の発言の中に、成本 反対。ニヒリズム礼賛的。フーンと思っただけ。劇としてみてもすーっと入れん感じ。愛がこの劇で問題になっていると思えない。この劇読んで五年か先思う。どうにもならないことが決定的になっている感じ。ものすごく反発感じた。私からしたら悪い例を劇にしたように思える。こういう風にはならないと思う。》があった。きっとこれが当時の大学の「タテマエ」のひとつの極だ。まったく意識することはなかったが、今振り返れば「四季」は知らず知らずそのタテマエへの挑戦だった。それが当時の議論を書き写しつつ見て取れた。成本さんとは橋本さんのところで会ってもいる。橋本さんは成本さんと近い立場に居た。今思えば橋本さんとの対話は、成本さん的感覚へのチャレンジでありアタックであったのかもしれない。私の語ることを頭から否定せずに聞いてもらえることでどんどん深入りしていった。どこまで納得していてくれたのかどうかはわからない、と今なら思える。それでもまっすぐに受け止めてはもらえていた。いい加減ではなかった。

この議論(10/17?)の後、台本をあれこれいじり回したのだが、結局最初に戻ることになったのだった。(10/24)一生懸命になって取り組んだのは、おおむね、共感してくれた人たちだった。

*   *   *   *   *