六人六様の近況報告がそれぞれおもしろい。よくパターン化されていると思った。これも寮という共同生活を基盤にした共通理解あればこそだったのだと思う。

家内と毎朝声を出して読んでる『声に出して読みたい日本語⑥』、一昨日読んだのが「桂林荘雑詠諸生に示す」(広瀬淡窓)。「道(い)ふことを休(や)めよ 他郷苦辛多しと 同袍友あり 自(おのずか)ら相親しむ 柴扉(さいひ)暁に出づれば 霜雪の如し 君は川流を汲め 我は薪(たきぎ)を拾はん 」。その解説《「他国に来たから苦労が多いなどと言うものではない、やがて親友もできるだろう。早朝、外に出れば霜が降りている。君は川の水をくめ、私は薪を拾おう」・・・ 「同袍」というのは綿入れを共有するという意味で、「詩経」 にある言葉。「霜」というのは勉学の厳しさを象徴する言葉。厳しい環境の中でもお互い切磋琢磨して学問をしようじゃないかといっている。学び合う時間は、 人生の祝祭だ。 苦労しながら学び、友達と過ごした時期は、そのときは大変に思えても、後から振り返ると、一番楽しくて充実していたなと思えるようになる。それが青春期の良さだ。全国の有為な若者が充実した青春期を過ごせる場をつくっていたことが、 広瀬淡窓の偉いいところ。 こういう人がいなければ、出会いの場はできない。先生が直接生徒に教えるだけではなく、場の教育力が重要だ。先輩が後輩に伝える伝統、前向きになれる雰囲気が咸宜園にはあった。》私の得た寮生活を思った。私には寮生活あっての大学だった。そしてまたたしかに学び合う時間は、 人生の祝祭(!)だ」。大学の競争率が6倍、寮の競争率も6倍の時代だった。

社会科の先生になった川山の話から当時の大学の歪んだ思想状況が見える。「建国記念の日」の制定が昭和41年(1966)、翌年2月11日から適用された。「日本のナショナリズム」とかの討論集会を哲史クラス主催でやった記憶がある。今の私からすれば、川山が忌避したい《魔法の糸であやつられ・・・”天照皇大神”って書いた掛軸の前でポンポン柏手打って”お国のため”》が、よほど健全な姿である。ただしその先、もちろん、戦争ではない。

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