台本ができた時の「記録」にこうあった。
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1968.9/19 4:45pm
夕べから今までで劇を書きあげた。まだちょっと自分の実感として出てこない。こんなもの書くことができるとはきのう、そして今まで全然思っていなかったんだから。おもしろいほどペンがすすむのだ。まだ森本の評価しかうけていないけど。ちょっと自分乍らまだ信じれん。


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と、興奮した字で書いている。それから間があって、

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10/24 1:35am
劇、おれの一番元の脚本でやることになって、果してやれるかという不安。
今、ガリ切り。ロウを焼いて、ガリ板を冷やしているところ。なかなか冷えない。
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10/26 1:35am
 文化祭まであと一週間。劇の練習、毎日やってるのだが、なんかしまらん。自分で書いた脚本でやるということのてれくささ、というかどういうか。
おれ自身、はっきりした意図もなく、ペンの進むままに書きあげたものだけに、その内容について追求されてくるのが辛い。おれ自身の急所もついてくる。それを言えないことはない筈なのに、何故辛いのか。おれ自身何故人の前に曝すことができないのか。おれ自身の世界としてとっておきたいのか。おれの逃げ場所として。
理解してもらおうとする時、云えばいいのだ。 ああいう劇を書いたことへの後悔。何故書いたんだろう。でも今更いってもはじまらん。


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脚本が落ち着くまでにはいろんな議論があったのだった。その時のメモがあれこれ残っていた。


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