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「四季」(’68寮祭文化祭三年演劇台本)(4) [劇台本「四季」]

六人六様の近況報告がそれぞれおもしろい。よくパターン化されていると思った。これも寮という共同生活を基盤にした共通理解あればこそだったのだと思う。

家内と毎朝声を出して読んでる『声に出して読みたい日本語⑥』、一昨日読んだのが「桂林荘雑詠諸生に示す」(広瀬淡窓)。「道(い)ふことを休(や)めよ 他郷苦辛多しと 同袍友あり 自(おのずか)ら相親しむ 柴扉(さいひ)暁に出づれば 霜雪の如し 君は川流を汲め 我は薪(たきぎ)を拾はん 」。その解説《「他国に来たから苦労が多いなどと言うものではない、やがて親友もできるだろう。早朝、外に出れば霜が降りている。君は川の水をくめ、私は薪を拾おう」・・・ 「同袍」というのは綿入れを共有するという意味で、「詩経」 にある言葉。「霜」というのは勉学の厳しさを象徴する言葉。厳しい環境の中でもお互い切磋琢磨して学問をしようじゃないかといっている。学び合う時間は、 人生の祝祭だ。 苦労しながら学び、友達と過ごした時期は、そのときは大変に思えても、後から振り返ると、一番楽しくて充実していたなと思えるようになる。それが青春期の良さだ。全国の有為な若者が充実した青春期を過ごせる場をつくっていたことが、 広瀬淡窓の偉いいところ。 こういう人がいなければ、出会いの場はできない。先生が直接生徒に教えるだけではなく、場の教育力が重要だ。先輩が後輩に伝える伝統、前向きになれる雰囲気が咸宜園にはあった。》私の得た寮生活を思った。私には寮生活あっての大学だった。そしてまたたしかに学び合う時間は、 人生の祝祭(!)だ」。大学の競争率が6倍、寮の競争率も6倍の時代だった。

社会科の先生になった川山の話から当時の大学の歪んだ思想状況が見える。「建国記念の日」の制定が昭和41年(1966)、翌年2月11日から適用された。「日本のナショナリズム」とかの討論集会を哲史クラス主催でやった記憶がある。今の私からすれば、川山が忌避したい《魔法の糸であやつられ・・・”天照皇大神”って書いた掛軸の前でポンポン柏手打って”お国のため”》が、よほど健全な姿である。ただしその先、もちろん、戦争ではない。

*   *   *   *   *

◎第四景(その一)
 秋、すすき
 部屋は相変わらず荒んでいる。一升ビンがころがっている。机や床に散らばっているエロ本。一男、その一冊をとって熱心に読みふける。時々虚しげに顔をあげる。

一男  「日曜日はスキーにピクニック」か。仏壇の方を見やる。

 そのうちに玄関の方が騒がしくなって、玄関が開く。それと共に男女数人の「ごめんください」「こんにちわ」などの声。
 一男、本から顔を上げて、面倒そうに立ち上がる。
 男三人、女三人登場。一男、彼らの顔を見たとたん、驚きと共に、すーっと気分が軽くなる感じ。

一男  あぁ、久しぶりだなあ。

 お互い無言のまま立ちすくむ。

一男  さあ、とにかく上がってくれ。

 一男、部屋に戻り、エロ本などを片付ける。お茶の用意なども。

佐藤  竹田から招集かかってな、ぜひ行ってみようということになったんだ。
後藤  竹田さんも来る予定だったんだけどね、どうしてもっていう用事ができて来られなかったの。

 一男、とにかくなつかしさでいっぱいという気持で、時々みんなの顔を見ながら片付けたり、お茶を出したり。
 入ってきた六人は、かわりばんに仏壇に焼香。
 女性はお茶を出すのを手伝う。

村井  大学で別れたきりずーっと会ってないわけだな。
山口  みんな変わらないもんね。もっとも私たち、お互い底の方までわかっっちゃてたから、変われっていわれても変わりようもないけど。私なんかもう子供二人もいるんだけど、結構まだ若いつもりよ。うちの旦那様(ひと)送り出して、仕事もひとしきりついたら小説読むの。学生時代を思い出させてくれるようなのがいいわ。ダンスパーティのことなんか思い出したらもうぞくぞくしちゃってね・子供も寝かしつけて静かになったところで、寮の夏山の写真ひっぱり出して見るなん最高よ。すぐ昨日のことのように思い出せるの。
後藤  それでもね、やっぱり私たち変わったと思うわ。だいたい今の生活は、寮で生活してた時なんかとはまるで違うんですもの。なんか今の方がはりあいあるみたい。
寮生活は、たしかに楽しかった。でも、なんか大事なものが欠けていたような気がするの。寮祭なんかの時も、みんなそれに向かって一生懸命努力する。でもその当日が過ぎたら、もう何もないでしょう。次の日からはみんなグッタリとなってしまって、そのうち勉強するに一番いい時期も過ぎて冬休み。四年間そんなことのくり返し。でも今は違うわ。自分の育てた芽がいつか自分の知らない世界に行って、どんどん大きくなる。まだ勤めて五、六年だから、そう大きくなった子供には出会ったことがないけど、そうしたこと考えると、毎日の生活がものすごくはりあいのあるものに思えてくるの。先生になってよかったってつくづくそう思う。
川山  そうかなあ。僕は中学で社会科教えてるんだけど、いつの間にか、大学時代考えていたこととは全然違うこと教えている自分に気がついて、はっとするんだ。アマテラスオオミカミがどうしたのこうしただの。最初これは単なるつくり話にすぎないんだって自分に言いきかせてたんだけど、それがいつの間にか自分でもほんとうのことのように思い込んでるんだな。どうしようもない魔法の糸であやつられているような気がするんだ。僕がこうして教えた子供が”天照皇大神”って書いた掛軸の前でポンポン柏手打って”お国のため”なんていいながら鉄砲担いで人殺しに出かける。そんなことふと思うんだ。それでなんとか学生時代の意識に帰ってそこからやりなおそうともがくんだけど、もうがんじがらめになっている自分しかないんだな。そりゃあ苦しいぜ。
佐藤  学校の先生か。僕は平凡なサラリーマン。毎日家と会社を行ったり来たり。そりゃあ時々脱線することもあるけど。会社へ入ったらすぐ労働組合に入ったんだ。でも今の社会じゃあどこへ行っても結局おれたちは大きな機構の中のちっぽけな一部でしかないんだな。労働組合にしても上の方のお偉方が決めたことを、みんな集まってみんな賛成でそれっきり。まあ少しずつ給料あげるにゃ役立ってるんだろうけど、上の方では会社とのなれあいで決めてるんだから、どうってことないよ。まあ会社の中であれ、労組の中であれ、そうした大きな機構の構成員として自分を考えて、僕みたいな小っぽけなのがいっぱい集まってこの大きな組織が成り立っているんだって思って満足するほかないんだな。そう思ったら結構生きてゆけるもんさ。
村井  しかし、君らみたいに何とか落ちついておれる人間はいいよ。おれなんか考えだけが先走っちゃって実際には何もやっちゃあいない。おれはとにかく、一匹狼で何とかやってやるって意気込んでいたんだな。最初小ちゃな会社でやりたいことやろうと思っていた。でも小ちゃな会社は結局大きな会社のいうなりでへいへいしてるだけさ。社長なんか哀れなもんだ。そしてそのうち倒産しちゃってね。その後はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、あちこち動き回っているうちすっかり消耗しちまったよ。というわけだから家族なんて持てない。ゆきつくところは東京山谷か大阪釜ヶ崎ってとこだな。もっともああしたところはああしたところでいいとこがあるんじゃないかな、今の世の中じゃ。とにかく大きな組織の中で、あるかないかの小っぽけなものになりさがっているよりよっぽどおもしろいぜ。もちろん、それだけの身体があっての話だけどね。
一男  片平さんは彼と結婚したんだろう。
片平(あや子)  別れたわ、二年ほどして。私、はりきりすぎていたのね。夢のような生活頭に描いていたものね。そんな甘いものじゃなかったわ。彼は仕事から帰ったら始終イライラしてる。あれほどやさしかった彼が、私にめちゃめちゃにあたり散らす。もう毎日泣いてたわ。結局全部彼にもたれかかっていたのがいけなかったのね。自分の世界を持たなくちゃって思って別れたわ。彼、淋しそうだった。でも、私には私の人生があるもの。いくら人のためとはいえ、毎日泣いて暮らすのなんて耐えられない。
後藤  お互い話し合ってみたの。
片平(あや子)  もうお互いどうにもならないところまできてたわ。お互い甘えていたのよ。彼も自分ひとりの世界を持たなくちゃ。私、今働いてる。何に夢を託したらいいかはわからないけど、心の中で何か”おまえはこうするのがいい”って教えてくれるものがありそうな気がするの。それを信じて生きているつもりだわ。
一男  ふーん、別れたのか。
山口  あら、宮田さん、まえに片平さん好きだったことあるんでしょ、知ってるわよ・・・

 ここまで言って山口、ふみ子の仏壇に気づき、ハッとして口をつぐむ。一瞬、気まずい空気。

村井  おいおい、みんな今どうしてるってことも大体わかったし、この辺でせっかく集まったんだから昔話でもやろうじゃないか。

後藤  そうね。

 お互い、勝手なことしゃべり合う。一男も明るくなって共に話の中に入っている。

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